世界と日本の風と土

世界と日本の風と土

日本とイギリスで農村計画を学ぶ女子学生のブログ。いかしいかされる生態系に編みなおしたい。

夏休みおわりましたの近況報告

お久しぶりです!Saeです! 
もうすっかり秋ですね~。夏休み気分も落ち着いたので、ここらでやっと近況報告します。


ちなみに私、基本的に家にいないんですが、なぜかブログは家じゃないと書く気分にならなくて、平気で1か月くらい間が空いてしまったりするんですよね。。(1か月以上更新がなくても見放さないでね)

 

えーでは、8月~9月をざっと振り返ります。

・堤防釣り
・畑しごと
・渋谷アート巡り(前回のブログ
・鎌倉散策
・大学のWebオープンキャンパス運営
・草木染ワークショップ&サスティナビリティに関するトーク
・旅行
・気候変動講演会
・高校生向けWeb授業のファシリテーション
・人生ゆるがす?ちょいビッグニュース

などなど、いろいろありました。

 

あ、普段は大学院に通っているので、研究とバイトとちっちゃな農業環境系ビジネスをゆるゆると楽しんでおります。

 

夏休みはあっという間でしたが、こうやって見返すと、どれもご縁があってこそできたことばかりです。ありがたや。
太字にした出来事は近いうちに記事としてアップしますのでお楽しみに!

 

さて、
ブログ記事にするほどでもないんだけど、WebオープンキャンパスとかWeb授業のファシリテーションを通して、オンラインとオフラインについて感じたことがあるので軽く雑談(雑筆?)して終わります。

 

今はコロナのおかげで、何でもオンライン開催になっているんですが、今後オンラインとオフラインのどちらでやる方が良いのか判断しないといけないことが多くなりそうですよね。


もう既に、”オンラインだったら参加できたのに~” とか ”これ毎回オンライン開催でいいじゃん” とか ”やっぱオフラインじゃなきゃだめだ” って思ってしまったことが多々あります。

 

ということで、私が個人的に感じているオンラインの良い点と限界点をまとめてみました。

 

■良い点
➀ネット環境さえあればどこからでもアクセスできる
➁普段会えないような人のお話が聴ける
➂コスト(交通費、場所代、タイムロス等)がかからない
➃立場に関係なくフラットでいられる&時に存在を消せる
➄チャットで質問・コメントできる
➅資料をすぐに共有できる

 

■限界点
➊空間を共有できない
➋察することができない
➌雑談が生まれにくい
➍複数人での会話がやりづらい
➎自然発生的な場が生まれにくい
➏プロセスの楽しさが激減する

 

誰でもどこでも” というのは本当にすごいことだと思います。ネットさえあれば世界中とつながれる時代。そうそう、今日はこれから "欧州の知性” といわれるジャック・アタリ氏の国際シンポジウムに参加するんですけど、これ無料ですよ!? 
こんな風に生配信でいろんな方のお話を聴けるのは嬉しいです。

あと、オンライン上って立場がフラットになりやすい気がして、すごく気持ち楽にいられます。オフラインだと、会場入ったときの空気感とか人の身なりや態度で何となく構えてしまったりすることがある。自然とスキャニングしてるんだと思うけど(笑)
オンラインだと良い意味で人を判断しなくていいし、慣れた場所にいるからリラックスできる。

気分にあわせてカメラON/OFFできたり、チャットで言いたいことを言いたい時に言えるのも良い。もしつまらなくなったら、ながら作業できるし、本当につまらなかったら退出すればいいという気軽さよ。最高。

 

共同作業するにしても本当に便利だよね。画面共有できたり、スプレッドシートとかみんなで編集できたり。これで済む仕事ならこれでいいと思う。

 

でも

 

空間を共有できないって社会的動物として意外と致命的なのでは?と思ったりもします。

 

なんというのか、相互交流が生まれにくい感じ。まず、場の空気や人のオーラを察しづらい。話していても目線があわないから反応が読めない。なにより、ご飯を一緒に食べられない!!!!笑
”おいしいねー”が共有できるってなんて大事なんだろうって思います。ほかにも目で見ている景色であったり、流れている音楽であったり、何でもいいんですが空間を共にすることが人にとって大切な共感を生む気がします。

 

あとは雑談。オンラインだと話を進める人がいないと複数人でコミュニケーションとるのが難しいから、おのずとテーマトークになっちゃう。本来なら、どうでもいい雑談のなかにオタクやキラリが見えたりするものなんだけどなぁ。
高校生向けのオンライン授業もやったけど、オフラインだったら自由時間にみんなで雑談ができて、高校生同士の刺激にもつながったはずなのにと残念だった。

 

そういう意味では、自然発生的な場は生まれにくいよね。"あっちでなんか面白そうな話をしているぞ"って近づくこともできないし、”あの人話しかけてみたい” っていうのもできない。この辺り、今後VRが主流になったら可能かもしれないけど、案外、人間は五感を使ってコミュニケーションをとっているんだなと気づかされました。

 

総じて、プロセスの楽しさを感じにくいのがオンラインの限界点ではないかな。確かにコストがかからなくて良い面もたくさんあるんだけど、場所に行くまでのプロセス、人に出会うまでのプロセス、アイデアが形になるまでのプロセスなど、プロセスのなかでわくわくする気持ちが湧いてきたり、違和感を覚えたり、”気”の合う人/合わない人を見つけたりして、人生の機微が積み重なっていくように思う。

 

ちょっとその辺散歩して、地域のおばちゃんと立ち話するみたいな方が健全だったのかもしれないな。

 

結局はオンラインとオフラインの使い分けだと思うけど、オフラインへのあこがれが強まる夏の終わりでした。

 

無理やり締める(笑)

 

おわり。

アート×テクノロジー やくしまるえつこさんと落合陽一さんの世界からみたリアルとバーチャル

こんにちは!畑作業の代償 (夏バテ、日焼け、蚊に刺され)で体が悲鳴をあげておりますSaeです *o* 

 

この間、渋谷で開催中の「ヒストポリス─絶滅と再生─展」(やくしまるえつこ氏他)と「未知への追憶 ―イメージと物質||計算機と自然||質量への憧憬―」(落合陽一氏)へ行ってきました。アーティストの想像/創造力とテクノロジーの融合が、もはや凡人である私の想像の域をはるかに超えていて、理解がまったく追いつかない!!めっちゃ悔しかったので、それぞれの作品を振り返りながら、どんなメッセージが込められていたのか考察していきたいと思います。

 

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閑散としているキャットストリート


以前、オラファー展の記事をアップしたときは、「アートというものが何なのか少しだけわかったような気がしました」なーんてかっこつけてまとめちゃったのですが、いや、わからんわ。

windtosoil.hatenablog.com

 

今回の2つの展覧会に至っては、”わからない”と思ってしまったこと自体がたぶんアーティストの思うツボ。というのも、テーマが<生と死>であったり、<リアルとバーチャル>であったり、来るべく時代の到来を思わせるような内容だったからです。もうテクノロジーは人間が理解できる域を超えている。やくしまるさんや落合さんのような限られた逸材にしか到達できない世界があるんだって感じました。(取り残されている気がしてちょっと寂しかった…)

 

ヒストポリス - 絶滅と再生 - 展

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まず、「ヒストポリス」って何??というところから。「ヒストポリス」とは、「生命を宿す都市:永遠に生き続ける者たちの場所」という意味の言葉だそうで、「ネクロポリス」(死者の都市)と対で使われるSF用語らしいです。SFの世界だったものが、テクノロジーの発展によって、アートという形で目の前に現れはじめていることが、もう、とんでもない時代に来てる感まんさいですね。

 

「工学的にデザインされた、これまでとは別の次元の自然が立ち現れつつある。それは同時に、技術が生命や生態系に溶け込み、あらゆるものを侵食していく現代において、人間が「絶滅」の危機といかに向き合うかを問いかけることとなる。さらに、カオスの中で変態する時代状況の一端を映し出し、地球史における人類の存在理由を参加アーティストの作品を通して未来的展望にいかに結びつけていけるかを展覧会の主旨としている。」 
ー展覧会趣旨より

 

絶滅―今回のパンデミックで現実味を帯びてきた概念でもあります。「死」に意識を向けることは「生」を見つめ直すこと。私自身コロナ禍で、”今ここ”を大事にした生き方とか、いのちの時間の使い方とか、いろいろ意識させられているし、世界全体が共通のウイルスと向き合う中で、人類はこの先どうなってしまうのだろう?と、真夏の交差点でマスクした人びととすれ違うような日常のふとした瞬間に考えてしまいます。この展覧会がこの絶妙な時期に開催されていることにも何か意味があるのかもしれません。

 

会場は「不死」「キメラ」「脱絶滅」の3つのブースに分かれており、全体的にラボ感が強めで、倫理的に大丈夫なのか??という作品もありました。要するに気味が悪い(笑)

 

特に印象的だったのは、やくしまるえつこさん作の《わたしは人類》

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ボーカロイドみたいな声の曲とともに、蛍光黄緑の液体が入ったシャーレや試験管が不気味に動いている…。見ただけじゃよくわからなかったのですが、微生物の塩基配列を基に音楽をつくり、その音楽をさらに記号化し、微生物の遺伝子に組み込むという作品だったようです。こういったバイオテクノロジーを活用したアートを「バイオアート」というのだとか。

 

もうひとつ印象に残ったのは「キメラ」

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これは本当にキモかった…!「キメラ」は、もともとギリシャ神話に出てくる怪獣で、ライオンの頭、山羊の身体、蛇の尻尾をもつ生きもの?だそうです。ここに展示されているキメラたちは、AIが機械学習で生み出したものだそうで、鳥っぽいもの、蜘蛛っぽいもの、フクロウっぽいもの…本当に存在していそうなんですよね。それが絶妙に気持ち悪い。こうやって人間の想像力も超えたキメラを見て、実存していそうだと思ってしまったことが、もうAIの罠にはまってますよね。。最近はディープフェイクとかも精巧なものが増えてきてるみたいですし、自分がみている世界を信じられなくなったら…こわいこわい。

 

科学は、物事が何であるかは決められるが、どうあるべきか決められない。だから科学の領域を超えた価値判断が依然として不可欠なのだ。
アルベルト・アインシュタイン

 

ヒストポリス展の公式HPに載っているアインシュタインの言葉です。“生命とはなにか” がますます問われる現代、科学だけでは価値判断が追いつかなくなっていくと思います。そこにアートの力が求められるのは必然のような気がしました。

 

展覧会基本情報

展覧会名:ヒストポリス - 絶滅と再生 - 展
会場:GYRE GALLERY /GYRE 3F 東京都渋谷区神宮前5−10−1
会期:2020年6月8日(月)− 2020年9月27日(日)
休館日:無休
開館時間:11:00 − 20:00
所要時間:30分
観覧料:無料
公式HPhttps://gyre-omotesando.com/artandgallery/histopolis/


■参考
コロナ時代に開幕したバイオ・アート展。「ヒストポリス─絶滅と再生─展」が提示するもの|美術手帖
バイオアートとは?有名な作品・アーティストを解説 | thisismedia

 

未知への追憶-イメージと物質||計算機と自然||質量への憧憬-

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news zero、NewsPicksでお馴染みの落合陽一さん。いつも顔色わるくて、なんだか気だるそうですが(←失礼)、メディアアーティストであり、研究者、大学教員、実業家、写真家、随筆家、ビデオブロガーでもある……す、すごすぎる。一体何者なんだ!?とずっと気になっていたので、個展へ行ってきました。

 

全体を通しての感想を先に言っちゃうと、どことなく安らぎや懐かしさを感じさせるようなデジタルな世界がありました。どことなくというのがポイントで、デジタルと自然が折り重なるなかに、既視感のようなものが感じられるんですよね。不思議。


一番印象に残った作品はこちら。

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ぱっとみ和室です。畳の上にちゃぶ台を思わせるドーナツ型の台があって、その上を銀色の玉が回っています。背景には、丸窓障子のようにはめられたレンズを通して見える渋谷の町並み。人びと、車、電車がいろんなパターンで通り過ぎていく。写真では伝わらないのですが、お坊さんが持っているような鈴の音(チリーンチリーンという音)が鳴り響いていて(全自動)、居心地のよい空間でした。


と、ここでふと思ったのですが、この作品をみて ”居心地がよい” と感じてしまった私。この感覚はどこから来ているのだろう??どこか懐かしい要素を組み合わせたこの作品は、外国で育った人の目にはどう映るのかな。 ”日本人” の私からすると、畳を見ただけで何かしらのつながりを感じてしまいます。一瞬でその風景に引き込まれてしまうんですよね。そこに自分の意思はありませんでした。こういうのを ”アイデンティティ” とよぶのかもしれません。

 

落合さんいわく、

心象の原風景にある作品は心に引っかかってしまうコンテクストの美的感覚だ。刹那性と共感性の過程にある美的感覚を世界の切り出しによって表現しようと試行錯誤した結果だ。


なるほど。日本はハイコンテクストな国だともいわれているし、日本っぽい!って感じちゃう要素は結構あるような気がする。逆に他の国の人が居心地よいと感じる心象風景ってどういうものなのか気になりました。

 

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写真や立体物、映像を通じて、落合陽一の持つ新しい自然観と老荘思想との接続、バーチャルとの邂逅、民藝との接近に至る背景を読み解き、鑑賞可能にすることをめざした、 落合陽一はアーティストステートメントに「物化する計算機自然と対峙し、映像と質量の間にある憧憬や情念を反芻する」と書いている。
「未知への追憶」は2020年に開設した動画チャンネルのシーズンテーマでもあり、4年間の表現コンセプトを昇華させ、新しい日常から新しい自然の再発見に至るための探究活動だ。
探し、吟味し、新しい文脈を練り上げることで未知を目指す喜びや感動へと変換するために、過去作品の再構成、研究や社会活動としての膨大な活動をスナップ写真として切り出すことによって作品に昇華するプロセスを内包している。
ー展覧会HPより

 

まあ、横文字と漢字が多い!何を言っているのやら…と思っていたら、落合さんのnoteを見つけました!だいぶわかりやすくまとめられています。ありがたい。

 

note.com

 

メディアアートって「表現の媒体そのものの構築も表現にしてしまおう」という考え方なんですね。落合さんご自身は「物化する自然と情念」をアーティストとして大切にされているとのこと。「物化する」の意味はこちらの記事で「Transformation of Material Thingsと捉えていただけるとすんなり通るかもしれない」と説明されていますが、まあ、すんなりはいかないですね。。

計算機(コンピューター)と自然の区別がつかなくなった「新しい自然」、そこに取り込まれていく私たちが抱く感情や自然観が主題なのかなあと。私が感じた安らぎや懐かしさも落合さんの狙い通りかもしれない。

 

展覧会基本情報

展覧会名:未知への追憶 -イメージと物質||計算機と自然||質量への憧憬-
会場:渋谷MODI2階
会期:2020年7月23日(木・祝)− 8月31日(月)
休館日:8月19日(水)
開館時間:11:00 − 20:00(入場受付は19:30まで)
所要時間:1時間半
観覧料:一般 1800円、大学生以下 無料(学生証要持参)
公式HPhttps://www.0101.co.jp/michi2020/


■参考
計算機と自然、計算機の自然 | 日本科学未来館 (Miraikan)
落合陽一公式ページ / Yoichi Ochiai Official Portfolio

 

まとめ

私たちが今見ている世界、自然とは何なんだろうなあと、今回のアート×テクノロジー体験を通して考えさせられました。生命倫理とか自然観とか、いざ考えてみようと思っても難しいけど、アートなら自分の感覚と接続しやすい気がします。生命とは?自然とは?リアルとは?自分が何を信じて生きていきたいのか見失わないようにしたいと思いました。

 

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循環する暮らしのデザイン ”パーマカルチャー” を学びに藤野へ行ってきた!

こんにちは!梅雨ってこんなに長かったっけ、低気圧にそろそろ身体がもたなくなってきたSaeです。


じめじめコンクリートな街中に我慢できず、先週末都会を抜け出し、神奈川県藤野町(現相模原市緑区)へ行ってきました!目的はパーマカルチャー講座。

パーマカルチャーとは
パーマネント(永続性)と農業(アグリカルチャー)/文化(カルチャー)を組み合わせた言葉で、永続可能な農業をもとに永続可能な文化、即ち、人と自然が共に豊かになるような関係を築いていくためのデザイン手法です。


デザイン手法とは言われているけど、哲学・スピリチュアル的要素とも親和性が高い考え方だと感じています。実践としては、農業だけじゃなく、建築やまちづくり、民主社会、循環型経済など幅広く応用されているようです。私自身、いつどこでパーマカルチャーに出会ったのか全く覚えていないけど、「多様性」「循環」「システム」「想像/創造」といったキーワードがずっと心の内にあって、どこかでピンときたんだよな。ああ、たぶんGreenzの記事から影響を受けたんだと思います。もっとパーマカルチャーについて知りたいよ~という方は、ぜひ下記もチェックしてみてください◎
東京アーバンパーマカルチャー - ホーム | Facebook


さて、本題に入ります。今回参加してきた講座の内容はこんな感じ↓↓↓ 

循環する暮らしのデザイン 第二期パーマカルチャー基礎講座 課外授業「コミュニティデザイン」

■講座概要
2019年秋から大田区池上のHitonamiで開講したパーマカルチャー基礎講座。循環型の暮らしをデザインし、実践するための講座です。最終回のテーマは、『コミュニティデザイン』。課外授業として、日本のトランジションタウン発祥の地でもあり、パーマカルチャーセンタージャパンが拠点とする藤野町を訪れます。
コロナウィルスのパンデミック、またここ数週に渡って続く各地の大雨。メディアからは不安や恐怖を伝える報道が続いています。このような事象が私たちに伝えていることは何か?人との接触を避けて自らを隔離することが、未来の幸せへと繋がるのか?自然の脅威に対して、命を守る行動は、1人1人の力だけで叶うものなのか?そんな本質的な問いを語り合い、それぞれの答えを見つけ出すためにも、コミュニティの力が必要だと感じています。これまでの常識や安心がいとも簡単に覆される時代。同時に、そこから新たに創造のエネルギーが湧き上がる転換の時代。確かな足取りで、自分の頭と心をフルに使って進めるよう、自然との調和、人との結びつきを捉え直す機会にしてもらえたら嬉しく思います。


■日時
2020年7月26日(日) 10:00~16:00

■スケジュール
9:45 JR中央線藤野駅」集合
10:30 ➀廃材エコビレッジゆるゆる見学
12:00 ➁パーマカルチャーセンタージャパン農場見学
13:00 ➂昼食(近隣の里山、上野原西原の雑穀を使った手料理)
14:00 ➃トランジションタウン藤野、西原のコミュニティについて
16:30 ➄コミュニティ作りワークショップ
17:30 ➅地域の家づくり見学
18:00 藤野駅解散

 

藤野の基本情報

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行政区:神奈川県, 相模原市, 緑区, 旧藤野町(2007年に相模原市と合併)
人口:8,700人
面積:64.91 km²
特徴:アート、パーマカルチャー、トランジションタウン、シュタイナー教育

都心に一番近い里山ともいわれている藤野。実際に行ってみると、思っていたよりも山あり川あり、けっこう緑豊かなところです。藤野駅に降り立つと、登山の格好をしたおじさま・おばさまがたくさん。高尾山へと続く登山道があるみたいです。

地域の特徴ですが…カタカナ多いですね(笑) 聞くところによると、戦時中から芸術家たちを受け入れてきて、40年ほど前からは「ふるさと芸術村構想」のもと、町をあげて芸術家の移住を推進してきたとのこと。今でも移住の問い合わせは絶えず、地域内外から芸術家が集まる ”芸術のまち” となったそうです。

1996年には、NPO法人パーマカルチャー・センター・ジャパンが拠点を構え、毎年パーマカルチャーを学びに多くの人が訪れています(私もそのうちの一人!)。2004年には、小学校から高校までのシュタイナー学校が開校し、「芸術としての教育」「自由への教育」を行うオルタナティブな教育方針に惹かれて、若い家族も集まってくるようになりました。そして、2009年からトランジションタウン運動がはじまり、地域通貨、電力、森林などのグループが活動しています。

トランジションタウンとは
英国トットネス発祥の草の根運動で、地球規模のピークオイルや気候危機などの問題に対し、市民が創意と工夫によって、地域の資源を最大限に活用しながら脱石油型社会へ移行していくための取組です。


トランジションタウン藤野の活動については、Greenzで詳しくまとめられています。私が気に入っている記事を3つ載せておきましたので、気になる方は要チェック✔

greenz.jp

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パーマカルチャーツアー

➀廃材エコビレッジゆるゆる見学

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やっちまってんな!!!!
(いい意味で)

うん、やっちまってた。なんて言ったらいいんだろう、世界観が爆発しておりました。なんか秘密基地みたいで、すごくわぐわぐする空間(わくわくよりももっと悪だくみな感じ笑)。廃材=みんなが捨ててるもので、建物自体も野外キッチンもコンポストトイレも五右衛門風呂もつくられている。「価値の視点を変える」というメッセージが込められているそうです。ほんとすごい。

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左)コンポストトイレ 右)五右衛門風呂

 

中に入ると、さらにカオス。正面には紅白幕を背にしたDJステージ。天井にはミラーボール。鹿や亀のはく製に小判のコレクション…どこですかここは。なんじゃこりゃってなりすぎて、変なアドレナリンが分泌される(笑)

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ひときわ神秘的だったのは、ここの村長さんでありアーティスト、飛龍さんの万華鏡。水晶玉でも置いてありそうなスピリチュアルな雰囲気のなか並べられている作品たち。土偶?私の知っている万華鏡の姿はそこにはありませんでした。見るからにやべえ。
やや恐れ多くも中を覗かせてもらうと…はああああ、なんてこった。きらきらがぐるんぐるんで、美しすぎました。ずっと見ていたい。だから、せめてと思って、全種類のぞいてきました。万華鏡で生計を立てているって聞いたときは、どういうこと!?って思ったけど、納得です。

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この世に廃材がある限り、このエコビレッジに完成はない」と飛龍さん。完成しないということは、来るたびに変わっているということ。ハウルの動く城みたいな生きものの気配がします。また来ようと思いました。


ちなみに、エコビレッジには、モバイルハウスをつくってる人もいたし、モバイルハウスであそびに来ている人もいました!

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恋におちた

このときから、私の夢のひとつに ”モバイルハウスをつくって旅に出る” が追加されました。家ってふつう不動産っていわれるけど、可動産でもよくね?という、こちらも新たな価値の提案ですね。今後、藤野にモバイルハウスが集える場ができるらしく、とても楽しみです!

 
廃材エコビレッジについては、またまたGreenzに良い記事があったのでシェアします。(Greenzのまわし者ではないですよ笑)

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➁パーマカルチャーセンタージャパン農場見学

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パーマカルチャー・センター・ジャパンの拠点は川の前に佇む古民家。このお家の中もとっても素敵で、いろりがあったり、縁側があったり、屋根裏部屋があったり。ほっと一息つける空間です。やっぱり古民家いいなあ。


いったん荷物を置いて、徒歩10分ほどのところにある農場を見せていただきました。写真はアースバックハウスというもので、土嚢を積み上げ漆喰で壁を固める工法でつくられています。断熱性・耐火性にすぐれているそうです。ここでは野菜と種の保存庫として使用されています。詳しくはこちらからパーマカルチャーガーデンの色んな工夫を見ることができます。

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➂昼食(近隣の里山、上野原西原の雑穀を使った手料理)

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楽しみにしてたお昼ご飯!!隣町の山梨県上野原に移住して、雑穀づくりをおじいさま師匠に学んでいるというお姉さんが作ってくださいました。きびごはん、白瓜の漬物、にんじんのラぺ、たかきびのメンチカツ、野菜と桃のゼリー寄せ、コーンスープ。雑穀のつぶつぶ感がとっても美味しい~~しあわせ。ついついおかわりまでしてしまい、大満足でした。

トランジションタウン藤野、西原のコミュニティについて

コミュニティってなんだろう?ということについて、トランジションタウン藤野の例もまじえながらみんなで考えました。最初にコミュニティの概念と藤野の取組についてプレゼンがあったのですが、実は超絶ねむかった(ほんとにごめんなさい)。。お腹いっぱいになった後の座学はつらいよ(泣) こうなったら最後、デジカメでスライド撮りまくる作戦を強行したので、今写真を見返しながら必死で復習しています。

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コミュニティって本当にややこしい概念です…本当はあんまり考えたくないんですが、この際なので講座の内容とあわせて、『コミュニティを問い直す』という本を参考にしながら少し整理してみようと思います。


広井氏によると、コミュニティとは「人間が、それに対して何らかの帰属意識をもち、かつその構成メンバーの間に一定の連帯ないし相互扶助(支え合い) の意識が働いているような集団」と暫定的に理解されています。

もともと日本では、「十分の付き合い」という地域における十の共同行為(冠、婚、葬式、年回忌、建築、病気、水害、火事、旅、出産)がありました。また里山には、薪やカヤを採取するための入会地、田んぼに水をひくための水路など、住民が共同で利用・管理する場所や施設があります。「結」や「もやい」といった集落での共同作業は今も農村に残っていますね。広井氏は、こうした空間的な”場の共有”によって「ある種の情緒的(ないし非言語的な)つながりの感覚」をベースに形成されるのものを「農村型コミュニティ」としています。一方で、同じ母校の出身であるとか、同じ志を持っているとか、”資格(メンバーシップ)の共有”によって「共通の規範やルール」に基づいて形成されるのものを「都市型コミュニティ」としています。


それぞれの特徴を整理すると
▶農村型コミュニティ
・共同体に一体化する(ないし吸収される)個人
・情緒的(非言語的)
・同質性を前提とする

▶都市型コミュニティ
・独立した個人と個人のつながり
・規範的(言語的)
・異質性を前提とする


いわれてみれば何となくわかるようなわからないような。都市と農村って、きっちり分けられるものでもないと思うけど…という疑問に答えるかのように「都市の中の農村(ムラ社会)」という考え方も本書の中で議論されています。

そもそもコミュニティという言葉が日本で初めて公的に示されたのは1969年のことだそう。高度経済成長気も終焉を迎え、改めて地域社会の意味づけと再編が求められるなか、これまでの自治会とは別の新たな地域住民組織の形成が期待されていた時期です。1995年に発生した「阪神・淡路大震災」は、地域のつながりや助け合いの精神を含めた地域コミュニティの機能・役割の重要性を認識させる大きなきっかけとなったといわれています。これ以降、ボランティアやNPOなど、地域を限らず特定の目的やテーマに沿った活動を行うコミュニティが増加しているようです。

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はあ、難しい。やっぱ沼ですね。コミュニティは重層的かつ自然発生的なものだからこそ、分類・解釈が難しいです。
ちなみに、日本社会において圧倒的に強いのが「農村型コミュニティ」だそうで、「ウチとソト」との落差が大きいという指摘や、日本人の人間関係は「空気」でできているという点は、経験則的にうなずいてしまいました。

 

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藤野のなかで稲が育てられる地域は限られている

コミュニティの概念の話はこのくらいにして、藤野の話に戻ると、たぶん藤野は都市型と農村型が入り組むコミュニティなんだと思います。広井氏がいう「都市のなかの農村」とは逆で、藤野には「農村のなかの都市」があって、個の力が強い印象を受けました。
なんで閉鎖的にならずに、外の人(異質性)を受け入れられるのだろう?と考えたんですが、稲作が盛んでない地域だったからじゃないかなと。お米を求めて周辺地域ともよく交流していたのかもしれないなと想像がふくらみました。

 

➄コミュニティ作りワークショップ

コミュニティって自然発生的なものだよねという話をしたので、”コミュニティ作り”という言い方はちょっと違和感ですが、藤野で行っているワークショップを少しだけ体験させていただきました。その名も「でしリスト」。

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つくり方はいたって簡単!「できること/貸せるもの」と「してほしいこと/貸してほしいもの」をそれぞれリストアップして、周りの人と共有するだけ。私のリストはこんな感じになりました!

▶できること/貸せるもの
・話し相手になります
ファシリテーション
・議事録係り
・インタビュー&記事づくり
・基本的なパソコン作業(Word, Excel, Powerpoint, HTML&CSSなど)
・簡単な翻訳(英語のメールなど)
クラシックバレエの解説
・小中学生に勉強を教える
・畑作業のお手伝い
・スーツケース貸せます
・本貸せます

▶してほしいこと/貸してほしいもの
有機栽培を学びたい
・自然酒、ナチュラルワインを学びたい
・だしの取り方から和食の作り方を学びたい
・お菓子づくりを学びたい
・家の片づけを手伝ってほしい
・キャンプしたい
・ピザ窯づくりを教えてほしい
・モバイルハウスを一緒につくってほしい
・漁と狩猟の現場に同行してみたい

書き終わったら、みんなで円になって時計回りにリストを回していきます。すると、結構わたしにできることあるじゃん!「してほしいこと/貸してほしいもの」にも名乗りをあげてくれた方がいて、とっても嬉しかった。このように、自分のできること/できないことを地域の人と共有することで、恩送り的に循環していく仕組みが藤野の地域通貨(「でしリスト」の通帳版)になっているそうです。

 

➅地域の家づくり見学

ツアーの最後は、この日丸一日 、藤野を案内してくださったミカエさんのお宅「地球にうまれた小さな家」を見せていただきました。コンセプトは「地球に負荷をかけない循環を考えたしくみづくり」。屋根には太陽光パネル太陽熱温水器、家の中には薪ストーブもあり、身の丈にあったエネルギーを使う暮らしをしたいというミカエさんのこだわりが伝わります。地域の自然素材を使って、たくさんのお友だちの手を借りながら建てられたというお家は、不思議と温もりが感じられました。素敵。

note.com

 

まとめ

藤野から帰ってきたらなんだか身体の調子がいいんです!やっぱり適度な緑と運動と学び、そして美味しい食が無いとダメなんだなあ。このタイミングでまたひとつ素敵な地域と人と出会うことができて、心が豊かになりました。きっと、パーマカルチャーは生態系やコミュニティの網の目をより豊かなかたちに編みなおすためのデザインなんだなあ。


今回見せていただいた活動以外にも、まだまだ魅力がたくさんあるので、今後何度か訪れるなかで藤野の地域力の根源みたいなものに迫っていけたらと思います :)

greenz.jp

 

参考

◆パーマカルチャーセンタージャパン:http://pccj.jp/
◆廃材エコビレッジ: https://www.facebook.com/eco.village.yuruyuru/