世界と日本の風と土

世界と日本の風と土

日本とイギリスで農村計画を学ぶ女子学生のブログ。いかしいかされる生態系に編みなおしたい。

フィクションとノンフィクションのはざま。積み木のように生きていく。

最近、自分は何の価値も生み出していない=何の価値もない人間だって思ってしまった。

 

それはきっと社会に認められたいっていう甘え。
なんかすごい社会のためになっている感のある”社会人”たちの話をきいて、自分は何もできていないって焦ってた。(社会人っていう呼び方に過敏に反応してしまう…)

 

人と比べるなんて愚かだと思ってるのに。自分が楽しいと思えることを純粋にやればいいとわかっているのに。何をそんなに焦ることがあるのだろう。自分の生きてる時間の使い方は自分で決めればいいじゃないか。

 

知識・経験が多いにこしたことはないけれど、そこから自分が何を得て考えているのかを。考え方を肥やしていかないといけない。

 

それに盲目になっていた自分がいた。

 

確固たる夢なんてなくていい。どんな暮らしがしたいかっていう世界観だけ広げていければいい。自分に何ができるかなんて自分が決めることじゃないのかもしれない。好きとはちょっと違う、楽しいと思えることを仕事にしよう。

 

そんなことって実はたくさんあるはず。
私の場合、研究だってその一つ。楽しいって思えることがあるから、進学も考えている。澁澤先生がいってたじゃないか、自分の世界をつくれるって。

 

この世の中ぜんぶフィクションだとしたら、思い込みで人は動けるって思うんだよね。自分がそこに勝手に使命を感じて楽しめたらいいんじゃないかって。こう思ってる自分もきっとフィクションだ。存在はノンフィクションだけど、考え方はいつでも積み木みたいに崩して積み上げることができる。難しい話をしようとしなくていい。

 

自分らしく生きてくんだ。

人とのつながりのなかで生きていくんだ。

自然とのつながりのなかで生きていくんだ。

自分は生態系の一部なんだから。

 

その感覚を取り戻す暮らしと仕事がしたい。