世界と日本の風と土

世界と日本の風と土

日本とイギリスで農村計画を学ぶ女子学生のブログ。いかしいかされる生態系に編みなおしたい。

自分に問いかけることが未来をつくる

気づけば帰国して3カ月。セーターにダウンを着ていたのに今はタンクトップに短パンだ。気温も湿度もとっくにイギリスの夏を超えている。先月から少しずつ外に出て、人とも会うようになって、自分が思っているよりも外は日常だった。あなぐらに引きこもっていたクマが新たな春に目覚めてほかの生き物たちの輪の中に戻っていく気持ちってこんな感じかもしれない。

 

自粛期間中なにしてた?みたいな話になるので思い返してみると、「いろいろ考えてた。あと畑やることになってその準備。」それだけかよって思ってしまう自分もいるが、そんなもんだ。研究も就活も放置しているけど、けっこう幸せに生きている。4月はコロナに頭を侵食されて色んな不安があった、5月は学振の申請に没頭、6月は社会復帰して街の変化を楽しんだ。1か月単位で動いている感覚だから、前の自分に比べたらすごいゆっくりだけど、不思議と罪悪感はない。あ、そういえばこのブログも5月にはじめた。凝り性が爆発してしまって、一つひとつの記事に時間をかけちゃった。でもいいんだ。所詮、自己満だから。

 

日本って、外に出るとすごく時間の流れが早いというか、スピード感がすごくて、ほっと一息つける場所が少ない。自分の時間をたっぷり使える今は、イギリスにいたときの延長みたいでほっとする。家族に負担をかけたくはないから、自立する術は見出さないといけないけれど、それ以外は”やらなきゃ”って思うことはあんまりない。漠然とした不安とか世間体に感情を駆り立てられることはやめた。開き直ったともいえる。それでいいんだ。自分のために生きれることに感謝して生きていく。そうする方が周りにも優しくなれる気がした。

 

何がしたいかなんて、今の連続の中で変化する。未来はすべて今だった。明日が来たことなんてない。いつも今だ。時間の流れをつかさどるものって何だろうって考えたんだけど、その時々の自分の意思決定かもしれない。じゃあ意思をつくるものは?ー問いだと思う。どんな問いを自分に投げかけるか。それだけで自分も人生も未来も変わってしまうんだろうな。

 

今日も近所の子どもたちの声が団地にひびいている。
\グッとっパーでわかれましょっ/
彼らは今を楽しんでいる。自分は今を楽しめている?そう問うことができる時間が未来だと思えた。