世界と日本の風と土

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日本とイギリスで農村計画を学ぶ女子学生のブログ。いかしいかされる生態系に編みなおしたい。

アート×テクノロジー やくしまるえつこさんと落合陽一さんの世界からみたリアルとバーチャル

こんにちは!畑作業の代償 (夏バテ、日焼け、蚊に刺され)で体が悲鳴をあげておりますSaeです *o* 

 

この間、渋谷で開催中の「ヒストポリス─絶滅と再生─展」(やくしまるえつこ氏他)と「未知への追憶 ―イメージと物質||計算機と自然||質量への憧憬―」(落合陽一氏)へ行ってきました。アーティストの想像/創造力とテクノロジーの融合が、もはや凡人である私の想像の域をはるかに超えていて、理解がまったく追いつかない!!めっちゃ悔しかったので、それぞれの作品を振り返りながら、どんなメッセージが込められていたのか考察していきたいと思います。

 

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閑散としているキャットストリート


以前、オラファー展の記事をアップしたときは、「アートというものが何なのか少しだけわかったような気がしました」なーんてかっこつけてまとめちゃったのですが、いや、わからんわ。

windtosoil.hatenablog.com

 

今回の2つの展覧会に至っては、”わからない”と思ってしまったこと自体がたぶんアーティストの思うツボ。というのも、テーマが<生と死>であったり、<リアルとバーチャル>であったり、来るべく時代の到来を思わせるような内容だったからです。もうテクノロジーは人間が理解できる域を超えている。やくしまるさんや落合さんのような限られた逸材にしか到達できない世界があるんだって感じました。(取り残されている気がしてちょっと寂しかった…)

 

ヒストポリス - 絶滅と再生 - 展

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まず、「ヒストポリス」って何??というところから。「ヒストポリス」とは、「生命を宿す都市:永遠に生き続ける者たちの場所」という意味の言葉だそうで、「ネクロポリス」(死者の都市)と対で使われるSF用語らしいです。SFの世界だったものが、テクノロジーの発展によって、アートという形で目の前に現れはじめていることが、もう、とんでもない時代に来てる感まんさいですね。

 

「工学的にデザインされた、これまでとは別の次元の自然が立ち現れつつある。それは同時に、技術が生命や生態系に溶け込み、あらゆるものを侵食していく現代において、人間が「絶滅」の危機といかに向き合うかを問いかけることとなる。さらに、カオスの中で変態する時代状況の一端を映し出し、地球史における人類の存在理由を参加アーティストの作品を通して未来的展望にいかに結びつけていけるかを展覧会の主旨としている。」 
ー展覧会趣旨より

 

絶滅―今回のパンデミックで現実味を帯びてきた概念でもあります。「死」に意識を向けることは「生」を見つめ直すこと。私自身コロナ禍で、”今ここ”を大事にした生き方とか、いのちの時間の使い方とか、いろいろ意識させられているし、世界全体が共通のウイルスと向き合う中で、人類はこの先どうなってしまうのだろう?と、真夏の交差点でマスクした人びととすれ違うような日常のふとした瞬間に考えてしまいます。この展覧会がこの絶妙な時期に開催されていることにも何か意味があるのかもしれません。

 

会場は「不死」「キメラ」「脱絶滅」の3つのブースに分かれており、全体的にラボ感が強めで、倫理的に大丈夫なのか??という作品もありました。要するに気味が悪い(笑)

 

特に印象的だったのは、やくしまるえつこさん作の《わたしは人類》

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ボーカロイドみたいな声の曲とともに、蛍光黄緑の液体が入ったシャーレや試験管が不気味に動いている…。見ただけじゃよくわからなかったのですが、微生物の塩基配列を基に音楽をつくり、その音楽をさらに記号化し、微生物の遺伝子に組み込むという作品だったようです。こういったバイオテクノロジーを活用したアートを「バイオアート」というのだとか。

 

もうひとつ印象に残ったのは「キメラ」

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これは本当にキモかった…!「キメラ」は、もともとギリシャ神話に出てくる怪獣で、ライオンの頭、山羊の身体、蛇の尻尾をもつ生きもの?だそうです。ここに展示されているキメラたちは、AIが機械学習で生み出したものだそうで、鳥っぽいもの、蜘蛛っぽいもの、フクロウっぽいもの…本当に存在していそうなんですよね。それが絶妙に気持ち悪い。こうやって人間の想像力も超えたキメラを見て、実存していそうだと思ってしまったことが、もうAIの罠にはまってますよね。。最近はディープフェイクとかも精巧なものが増えてきてるみたいですし、自分がみている世界を信じられなくなったら…こわいこわい。

 

科学は、物事が何であるかは決められるが、どうあるべきか決められない。だから科学の領域を超えた価値判断が依然として不可欠なのだ。
アルベルト・アインシュタイン

 

ヒストポリス展の公式HPに載っているアインシュタインの言葉です。“生命とはなにか” がますます問われる現代、科学だけでは価値判断が追いつかなくなっていくと思います。そこにアートの力が求められるのは必然のような気がしました。

 

展覧会基本情報

展覧会名:ヒストポリス - 絶滅と再生 - 展
会場:GYRE GALLERY /GYRE 3F 東京都渋谷区神宮前5−10−1
会期:2020年6月8日(月)− 2020年9月27日(日)
休館日:無休
開館時間:11:00 − 20:00
所要時間:30分
観覧料:無料
公式HPhttps://gyre-omotesando.com/artandgallery/histopolis/


■参考
コロナ時代に開幕したバイオ・アート展。「ヒストポリス─絶滅と再生─展」が提示するもの|美術手帖
バイオアートとは?有名な作品・アーティストを解説 | thisismedia

 

未知への追憶-イメージと物質||計算機と自然||質量への憧憬-

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news zero、NewsPicksでお馴染みの落合陽一さん。いつも顔色わるくて、なんだか気だるそうですが(←失礼)、メディアアーティストであり、研究者、大学教員、実業家、写真家、随筆家、ビデオブロガーでもある……す、すごすぎる。一体何者なんだ!?とずっと気になっていたので、個展へ行ってきました。

 

全体を通しての感想を先に言っちゃうと、どことなく安らぎや懐かしさを感じさせるようなデジタルな世界がありました。どことなくというのがポイントで、デジタルと自然が折り重なるなかに、既視感のようなものが感じられるんですよね。不思議。


一番印象に残った作品はこちら。

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ぱっとみ和室です。畳の上にちゃぶ台を思わせるドーナツ型の台があって、その上を銀色の玉が回っています。背景には、丸窓障子のようにはめられたレンズを通して見える渋谷の町並み。人びと、車、電車がいろんなパターンで通り過ぎていく。写真では伝わらないのですが、お坊さんが持っているような鈴の音(チリーンチリーンという音)が鳴り響いていて(全自動)、居心地のよい空間でした。


と、ここでふと思ったのですが、この作品をみて ”居心地がよい” と感じてしまった私。この感覚はどこから来ているのだろう??どこか懐かしい要素を組み合わせたこの作品は、外国で育った人の目にはどう映るのかな。 ”日本人” の私からすると、畳を見ただけで何かしらのつながりを感じてしまいます。一瞬でその風景に引き込まれてしまうんですよね。そこに自分の意思はありませんでした。こういうのを ”アイデンティティ” とよぶのかもしれません。

 

落合さんいわく、

心象の原風景にある作品は心に引っかかってしまうコンテクストの美的感覚だ。刹那性と共感性の過程にある美的感覚を世界の切り出しによって表現しようと試行錯誤した結果だ。


なるほど。日本はハイコンテクストな国だともいわれているし、日本っぽい!って感じちゃう要素は結構あるような気がする。逆に他の国の人が居心地よいと感じる心象風景ってどういうものなのか気になりました。

 

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写真や立体物、映像を通じて、落合陽一の持つ新しい自然観と老荘思想との接続、バーチャルとの邂逅、民藝との接近に至る背景を読み解き、鑑賞可能にすることをめざした、 落合陽一はアーティストステートメントに「物化する計算機自然と対峙し、映像と質量の間にある憧憬や情念を反芻する」と書いている。
「未知への追憶」は2020年に開設した動画チャンネルのシーズンテーマでもあり、4年間の表現コンセプトを昇華させ、新しい日常から新しい自然の再発見に至るための探究活動だ。
探し、吟味し、新しい文脈を練り上げることで未知を目指す喜びや感動へと変換するために、過去作品の再構成、研究や社会活動としての膨大な活動をスナップ写真として切り出すことによって作品に昇華するプロセスを内包している。
ー展覧会HPより

 

まあ、横文字と漢字が多い!何を言っているのやら…と思っていたら、落合さんのnoteを見つけました!だいぶわかりやすくまとめられています。ありがたい。

 

note.com

 

メディアアートって「表現の媒体そのものの構築も表現にしてしまおう」という考え方なんですね。落合さんご自身は「物化する自然と情念」をアーティストとして大切にされているとのこと。「物化する」の意味はこちらの記事で「Transformation of Material Thingsと捉えていただけるとすんなり通るかもしれない」と説明されていますが、まあ、すんなりはいかないですね。。

計算機(コンピューター)と自然の区別がつかなくなった「新しい自然」、そこに取り込まれていく私たちが抱く感情や自然観が主題なのかなあと。私が感じた安らぎや懐かしさも落合さんの狙い通りかもしれない。

 

展覧会基本情報

展覧会名:未知への追憶 -イメージと物質||計算機と自然||質量への憧憬-
会場:渋谷MODI2階
会期:2020年7月23日(木・祝)− 8月31日(月)
休館日:8月19日(水)
開館時間:11:00 − 20:00(入場受付は19:30まで)
所要時間:1時間半
観覧料:一般 1800円、大学生以下 無料(学生証要持参)
公式HPhttps://www.0101.co.jp/michi2020/


■参考
計算機と自然、計算機の自然 | 日本科学未来館 (Miraikan)
落合陽一公式ページ / Yoichi Ochiai Official Portfolio

 

まとめ

私たちが今見ている世界、自然とは何なんだろうなあと、今回のアート×テクノロジー体験を通して考えさせられました。生命倫理とか自然観とか、いざ考えてみようと思っても難しいけど、アートなら自分の感覚と接続しやすい気がします。生命とは?自然とは?リアルとは?自分が何を信じて生きていきたいのか見失わないようにしたいと思いました。

 

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