今日も父親がテレビをつけっぱなしにして寝ている。毎日、朝から晩までお好み焼きを焼き続けて、油の焼ける匂いを引き連れて帰ってくる父は、右手に缶チューハイ、左手にはスマホゲームを装備して、バラエティー番組を見ながら寝るのが日課だ。
いつもは気にも留めないテレビだけど、ふと聞こえてきたCMのフレーズが異様に耳にこびりついた。
「意味なく群れるよりも、意志のある孤立を」
それは不意打ちだった。中学生の頃の記憶がよみがえる。
臭いものには蓋をする、じゃないけれど、あんまり楽しい記憶じゃないから、鍵付きの小箱に入れて過去のガラクタの中に放り込んである(脳内イメージ)。
今日はなんとなく、久しぶりにその箱を開けてみるか、という気分になったので、脳内の奥底から掘り当ててみた。
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そうそう、あれは中学1年生のときの話。
私は、いわゆる女子たちのグループに馴染めなくて、ひとりでいることが多かった。
決して話し相手がいなかったわけじゃないし、ずっと一人でいたわけでもないけれど、”いつメン”というのはなく、休み時間も教室移動もだいたい一人。
私だって社会的動物だから、最初からそうだったわけじゃない。
ことの発端は、小学生の頃から仲が良かった(と思っていた)子たちに仲間外れにされたことだった。まあ、みんなは仲間外れにしてるとも思っていなかったかもしれない。共通のターゲットを置くことで、ただ連帯感を高めたかっただけなのかも。今ならそう思える。
が、当時のピュアなひよっこの私には辛い現実だった。
”○○ちゃんがこういってたよ”
でました。中学生女子が大好きな陰口大会。私はこれにハメられたことがある。
”え~~ありえなーい。さいあくー。”
なんて同調した次の日には
”さえちゃんが○○ちゃんの悪口いってたよ”
になって集団攻撃をくらうのだ。
下駄箱へ行くと、靴のなかに画びょうやチョークのくずが入っていた。ふと振り返れば、あの女子たちがこそこそ楽しそうにこちらを見ている。
放課後はバドミントン。例によって、この仲良し(ごっこ)グループと一緒に入部してしまったので、毎日放課後には顔を合わせなきゃならなかった。私も頑固な性格で、一度はじめた部活をやめる気はさらさらない。
基礎練でペアをつくるときは、誰か一緒に…と見渡した瞬間にはもうペアが出来ているのがお決まりで、男子3人組に煙たがれながらも相手をしてもらうのが日常茶飯事だった。
こんなことが何度もあって、そろそろ落ち込んでもいられなくなった私は、「あーそうですか。そんなのこっちから願い下げだわ。こんな低レベルな集団と一緒にされてたまるか。」と孤立を決心したのだった。
これが私の人生の転機。
それからというもの、学校ではすべてをシャットアウトして、ひたすら勉強に打ち込んだ。「こんな低レベルな奴らが誰もいない進学校に入ってやる!!」それだけがモチベーションだった。
ちなみに、通っていたのは普通の地元の中学校。ひと昔前はヤンキーだらけで窓ガラスがよく割れていたらしい。私の頃は、若干悪びれた奴らがいる程度で、全体的におとなしい子が多かった。(とはいえ、授業中にモスキート音を鳴らしたり、廊下で新聞紙を燃やしたり、先生に消しゴム投げたりする問題児のせいで、学年集会は絶えなかったけど。)
この絶妙な風紀の乱れが一層私をやる気にさせた。 生徒会に立候補して優等生ポジションを獲得。中学校の顔となって、市長から賞状をもらったこともあった。
気づけは入学時オール3だった成績はオール5になり、無事に都立の進学校に合格した。卒業式では、涙ながら先生方に感謝の言葉を贈った。(ように周りには見えたと思うけれど、内心「やっとこの低レベルな奴らとおさらばできる~~~」の歓喜あふれる故の涙だったことは秘密にしてある。)
今でも忘れはしない。「私は生まれ変わるんだ」と新たな決意を胸に、チャバネ色の制服に身を包まれて高校の門をくぐった春を。
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こうやって振り返ると、あながち悪くない中学生時代だったと思う。女子たちの嫌がらせの的になれたことは幸運だったとさえ思える。だって、それがなかったら今の私はないから。きっと、あのまま仲良しごっこを続けていたら、進学校にも行っていなかったし、今の大学にも通っていない。
だから、私はいじめっこに感謝している。
それと、私が潰れずに済んだのは、学校の中と外に安全基地があったからだと振り返って思う。
生徒会は学校内にある唯一の安全基地だった。今でも生徒会を一緒に運営した仲間とはご飯へ行ったりする。(よくある保健室は、悪びれた奴らとガチのいじめられっ子の安全基地だったから近寄らなかった)
学校以外の安全基地といえば、
第一は家庭。というか母だ。私が仲間外れにされて辛かったときも、いつも見方でいてくれた。無理に人にあわせなくていい。学校だけがすべてじゃないと教えてくれた。
第二は習い事。私は小さい頃からダンス(バレエ・タップ・ジャズ)と書道の教室に通わせてもらっていた。純粋にダンスや書に集中できることは、日々の雑念から解放されて、自分と向き合える大事な時間だった。それに、いろんな先生やお兄さん・お姉さんとの関わりから社会を知ったし、表現することの楽しさは、自分で自分を認めてあげられる余白を与えてくれた。
第三は塾。中2の後半から通いはじめたけど、やればやるほど伸びていく勉強がおもしろくてしょうがなかった。特に数学の先生からは多くを学ばせてもらったな。あの頃は勉強だけは裏切らないと思って生きていた。
総じて私は幸運だった。きっかけは何でも良かったと思うけど、「生まれ変わるぞ」って思えたことが人生の大きな推進力になったと思う。
昔の記憶って、細かいことは覚えていないし、誰とどんな話をしたかは思い出せないけれど、誰といてどんな気持ちになったかは何となく思い出せるもんだね。
ちょっぴり寂しくて臆病で強気な青春の記憶。今度は過去の宝物と一緒にしまっておくことにしよう。