世界と日本の風と土

世界と日本の風と土

日本とイギリスで農村計画を学ぶ女子学生のブログ。いかしいかされる生態系に編みなおしたい。

宙船にのって

大学1年生の夏、私は人生に絶望した。
なんのために生きているのかわからなくなった。

 

あんだけ必死に受験勉強して入った大学。
新しい友達もできて、楽しかったけど、
授業⇒サークル⇒バイトの繰り返し。

 

気がつけば前期がおわって夏休みになっていた。
今が稼ぎ時だと思って、11時から22時までパン屋で働いた。
13連勤も普通にこなしていた。

 

ある時、ふと思った。


バイトしてるだけで人生が過ぎている今は何?
てか、大学って何のために通ってるの?

そう思ってしまったのには理由があった。
大学での学びに対する不満。
そして不安。


大学はこれまでの小中高校とは違って、
がんばって書いたレポートや
がんばって勉強して臨んだテストの採点が戻ってこなかった。
代わりに、AとかBとか無機質な評定が与えられるだけ。

 

正直、何をがんばればいいのかわからなくなった。
一生懸命やったって、なんのフィードバックもないし。
勉強させる気ないだろって。
急激にやる気をなくした。

 

だけど、すぐに気づいた。
答えを求めてしまってる自分がいけないんだと。


大学に模範解答は無い。
むしろ、この世の中、模範解答なんて無いものだらけだ。
自分なりに学んで行動しなきゃ何にもならない。

だから、いったん絶望した。
なんでもっと早く気がつかなかったんだろうって。


答えのある勉強しかしてこなかった。
させてもらえなかった。
そのことに絶望した。

 

自分の脳みそがスカスカすぎて辛かった。
自分のやりたいことがわからなくて怖かった。

 

そこで、もっと自頭つかって生きようと思った。
もっと大学の外に飛び出して学ぼうと思った。

受け身の勉強にはさよならして
時間が喰われるバイトやサークルからも距離をおくことにした。


いったん絶望したら気持ちがスッキリして、
容赦なく授業をサボるようになった。
優等生じゃない自分になりたかった。

 

あのときの私は
学びのワクワク感を求めていたのだと思う。

 

ある日、学科のメーリスで
東日本大震災で被災した地域へ行くスタディツアーの案内が届いた。
知らない先輩からのお誘いだったけど、参加したいと思った。


なぜかはよくわからない。
でも、大学の授業よりも価値があるように感じた。
4日間くらい授業をサボって福島県南相馬市へ行くことにした。

2013年10月
3.11から2年半
”どれほど復興しているだろうか”
私の胸は期待でいっぱいだった。

けれど
そこに広がっていたのは
時が止まったようなグレーの世界だった。


今思い出しても苦しい。
不気味だった。
人がいるようでいない町の風景は抜け殻そのもの。
血が通っていないゾンビのような町並みにみえた。

 

誰かにとっての大事な何かが一瞬で奪われた。
3.11は単純な自然災害ではなかったんだ。
この国の構造的な問題が潜んでいることを知った。
そして、私もまた当事者の一人だということも。

 

なのために生きているのかなんてわからない。
今なら思うけど、そんなの愚問だ。
何かのために生きなくていい。

 

ただ、自分の人生を自分で生き抜きたい。
生かされていることへの感謝は大切だけど、
自分の人生のハンドルは誰にも握らせない。

握らせちゃいけない。

 

答えのない海の先は未知数だから。
風をよみ、舵をきる。
まだ見ぬ景色に胸を膨らませつつ旅はつづく。