先日「【ふるさとLABO#1】ふるさとの余白でそうぞうする①~いま、都会のわたしたちが地域にかかわる理由~」というイベントでお話させていただきました。
なぜ今、地域に関わろうとする若者が増えているのか?
地域に関わるとはどういうことか?
何を意識していきたいか? など
私が農村地域を旅するなかで見えてきた景色をみなさんにお伝えし、対話の場を持たせていただくという何とも贅沢な時間でした。
実を言うと、こんなにも研究のことをがっつりと、だけど、なるべくやわらかく話すのは初めてだったので、内心とてもドキドキしていたのです。
“余白でそうぞうする” という、それこそ余白だらけのテーマで20分×2回(理論編と実践編)の尺をいただきまして、しかも、ローカル系の仲間や知り合い、地域づくりの実践者の方々が参加されるということで、謎のプレッシャーに襲われながらトーク内容をつくっていきました。ヒリヒリした~。
結果的には「参加してよかった」「お金払ってでも聞きたい話だった」「それ!それが言いたかったんですよー、めっちゃ納得」「普段、中山間地域で暮らしているからこそ、理論に裏付けられた話は、とても新鮮でした」「イキイキ楽しそうに話している姿が印象的だった」「もっとお話しを聞いてみたい」など、うれしいお言葉をいただき、ほっとしたのですが
それと同時に、みなさんとの対話のなかで新たな気づきや問いが生まれ、話題を提供する側として、もっと気をつけるべきだなと感じる点も見えてきました。
今回のブログでは
・何を意識してどんな話をしたのか
・振り返りと気づき
・今後に向けて気をつけたいこと
を整理したいと思います。
地域の「余白」をどう語る?
余白ってなんなのよ!!
ここ数年でしょうか。いろんな場面で「余白」という言葉を見聞きするようになったように思います。
丁寧な暮らし的な感じで余白を持とうとか、マインドセットとして余白を楽しもうとか、デザイン思考やアート思考とセットでイノベーションのために余白をつくろうとか、
なにかと便利な言葉「余白」
余白論という学問が生まれていてもおかしくないと思うほど捉えどころのない概念です。
“余白でそうぞうする” というトークテーマを前にして、ずいぶんと長く立ち尽くしてしまいました。うーむ。
そもそも今回のイベントはどんな人に向けて何を持って帰ってもらいたいだろうか?と想像を膨らませた末、たどり着いたのは "かつての私" でした。
「ふるさと」というものがなくて、なんとなく根なし草の寄る辺なさに寂しく感じることがあったりして、なのに、というか、だからこそ、というべきか、ふるさと意識や地域への愛着とはなんなのかすごく興味があって、自分もいつか「ふるさと」をつくるんだ!と思っていたあの頃。
いわゆる「ふるさと難民」といわれる人たちが地域と関わろうとするときに想像力/創造力がちょっと豊かになるようなヒントを見つけてもらえたらいいなという想いで内容を詰めていきました。
第1部の理論編では、研究でいわれていることを織り交ぜながら、余白はどのように生まれてきたのか?、余白になにを求める?、余白をどう活かす?の3つの問いに沿ってお話しました。
その後グループ対話をはさんで、第2部の実践編では、私が実際におとずれた地域の方々の言葉を借りながら、余白で創造するとは?という切り口から3つの事例を紹介しました。
最後の対話では、一人ひとりが思う余白のあり方の輪郭が浮かびあがってきて、とてもおもしろかったです。
では、ここからは当日の内容をダイジェストでお届けします!全部解説していたら日が暮れて(というか年が明けて)しまうのでスライドを中心に。詳しく知りたいよと興味を持ってくださった方は、次回以降の「ふるさとLabo」でお会いしましょう~。
第1部 理論編:ちょこっと研究のこと
1-1.余白はどのように生まれてきたのか
追いつけ追い越せと必死に走ってきた時代はおわりを迎えています。大きな船に乗っているのもいいけれど、小さな船で風をよみながら大海原を航海するのもおもしろそうです。
人口動態だけみると社会経済的なショックが起こったときに大都市圏への転入数が弱まる傾向がみられるのですが、ひとくちに地方移住と言っても、時代によってそれを支える価値観や移住者層はちがうんですよね。
最近ではコロナ禍でライフスタイルを「変えない」移住もみられるようです。
1-2.余白になにを求める?
田園回帰の時代ともいわれるなかで、地域へ関心を寄せる人びと、とくに若い世代は地域に何を求めているのでしょうか?
哲学者の内山節さんは「私は私がつくりだしている関係の総和である」といいます。自分らしさというのは自己だけでは成立しえないということだと思いますし、関係性のなかで生きていくことが人間の本質だと気づかされます。
「共同体の社会は、自然も含め人々が役割で動く社会」という内山先生ご自身も、実は東京と長野の二拠点生活を50年以上されているというパイオニア。
人口が少ないということは、1人の存在感が大きいということですよね。
それが嫌で大都会に出て行く人がいることは百も承知なのですが、大都会で暮らすなかで疲弊してしまったり、もっと手触り感のある生き方をしたいという気持ちで、地方へ向かう人たちがいるのもまた事実です。
「自分の得意なこと苦手なことがどんどんわかるようになって楽しい」
「私にしかできないが増えていくようで生きがいを感じる」
「都会は理不尽な順番待ちが多いけどここなら挑戦させてもらえる」
こんな声を実際に地域で出会った若者たちからも聞きました。
一人ひとりを大事にできる社会なら、人口が少ないことはそんなに悪くないかもしれません。
人とのつながりだけでなく、場所とのつながりも人間が生きていく上ではすごく重要だといわれています。
「ここにいると機嫌がよくなるのよね~」と長野県の諏訪市に移住された方が何ともいえない満たされた表情でお話してくれたことをよく覚えています。
コンクリートジャングルでチェーン店の多い地域と、自然の移ろいが感じられて個人店の多い地域、どんな環境を好むかは人によりますが、自分なりに意味づけをしていくことが人間らしさなのだとしたら、後者の方が思い出や記憶や感動など、意味で満たされた世界は広がりやすいような気がします。
ローカルにまなざしを向ける人びとは、人とつながりや場所とのつながりから成る生きている実感を地域に求めているのではないかというのがここまでのまとめです。
1-3.余白をどういかす?
今度は地域側の視点に立って余白のいかし方を考えてみたいと思います。
地域づくりの考え方として、内発的発展論というものがあります。その対となるのが外来型開発です。
上記の図、内発的発展については引用文献から定義を引きましたが、外来型開発については内発的発展の対になるように、ちょっとだけ極端に私が書きました。でもね、ほんとうに、こういった外来型開発的なことって地方創生のなかでも起きていると私は危機感を抱いています。
ひと昔前はバブル崩壊で負の遺産と化したリゾート施設のように見えやすかったのですが、今は内発的に外来型の開発をしていたりします。たとえば、よその成功事例をそれっぽくアレンジして政府の補助金を引っ張ってきて「どっかで見たことあるなー」というコワーキングカフェを整備するとかね。そうやって「没場所化」へ向かっているというような地域もみられます。
外来型開発が絶対に悪というわけではないですし、内発的発展であっても続かないこともたくさんあります。ただ、それは一体、誰のどんな豊かさにつながるのか、地域の未来を願う人たちには考えてほしいのです。
私も常に考えています。
そこで参考になりそうなのが、シビックプライドの考え方です。シビックプライドとは「都市に対する市民の誇り」であり「ここをよりよい場所にするために自分自身がかかわっているという、当事者意識に基づく自負心」と定義されています。
学術的には都市部のまちづくりで用いられることが多く、シビックプライドそのものを直接的に高めることはできないけれど、市民と都市の接点となる「コミュニケーションポイント」はデザインできると考えられています。
ヨーロッパではシビックプライドを都市の再生に結びつけるプロジェクトが行われていて、私が留学中におとずれた地域でも、街のアイコンとなるようなスローガンやモニュメントの作成、アートフェスティバルの開催などがみられました。
では、日本の地域におけるコミュニケーションポイントはどういったところになるでしょうか?
これらのコミュニケーションポイントを意識してみるとデザインできそうな余白がみえてくるかもしれません。
ところで、余白をいかせる地域といかせない地域のちがいはなんでしょう?
これは私の仮説にすぎないのですが、踏み込みすぎずほっときすぎず、関心は向けるが監視はしない、そういった寛容性なり緩やかさが余白をいかせる地域にはあるのではないかなと思っています。
大抵の場合そうした地域は歴史的に外部との交流が盛んだったりするのですが、今後、移住者や関係人口との関わりが増えていけば、保守的・閉鎖的な地域でも「いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい」という価値観が広まるかもしれません。
ただ、それを望むかどうかはその地域の人たち次第でもあります。
第1部のまとめに入りましょう。ここまで散々「都会のわたしたちが地域にかかわる理由」について考察してきたわけですが、絶対に忘れてはならないことがあります。
1970年ごろに「過疎」という言葉が生まれてから「条件不利」「遅れた地域」「限界集落」などとレッテルを貼られてきたなかで、さまざまな劣等感や悔しさを感じながら地域でふんばってきた人たちがいるということです。大きな船を追いかけて一生懸命ここまで漕いで来た軌跡があるわけです。
こうしたことへの敬意と想像力は、私も最近になって少しずつ養う機会をいただいています。(田中輝美さんに感謝…!詳細はまた別のブログで)
「ここにはなにもない」「でていった方がいい」はそのときの名残もあるのではないか。何かと新しい動きを否定するような地域の重鎮たちに対しても、そういう時代を生き抜いてきた背景があることを思えば少し穏やかにいられるかもしれません。
対話① 共感したこと/いまひとつピンとこなかったこと
第1部を通して感じたことをグループで対話しました。そのなかから印象に残ったコメントを抜粋します。
・最後のスライドがピンときた。新しい風を吹かせるだけじゃなくて、もとからいる人への敬意を持とうというのは自分も思っていること。
・地方に住んでいたことがあるので共感だなあ。居場所と役割というのは聞くけど土地への意味づけをあまり考えたことがなかった。
・自分は地域にまだ関わりたくない、足を引っ張ってしまうような気がするから…1人の存在感が大きい故のハードルもあるよね。
・大都会でも田舎でもない中規模の町はどうしたらおもしろくできる?
・居心地のいい地域、若者が集まる地域ってどうしたつくれる?
・居心地がいい地域と悪い地域って誰の視点なのか?
第2部 実践編:若者を惹きつける人と地域
もともと「ふるさと難民」だった私ですが、気づいたら長野に入り浸るようになっていました。
なんでこんな風に関わらせてもらえるようになったのか振り返ると、そこにはすさまじい求心力で地域に惹きつける人たちの存在があったのです。この人たちを仮に「ブラックホール人材」とよぶことにしましょう。
↑私が地域に関わるなかで身をもって感じている変化はこんな感じです。
ここからは、私が実際におとずれた地域のなかで、とくに若者が集まっている(集めているではなく)と感じる地域を3つ紹介します。
2-1.つくり手になれるまち長野県辰野町
以前のブログでも取り上げさせていただいたのですが〇と編集社という辰野町のまちづくり会社が手掛けるトビチ商店街がとてもおもしろいです。
「シャッターは閉まっていていい」の真意については、ぜひこちらを読んでいただけたらと思います!
赤羽さんや野澤さんに引き寄せられて辰野町にやってきた人たちが続々と空き家をDIYして素敵な場所をつくりあげているんです。
トビチ商店街以外にも、町役場が窓口で取り組んでいる関係人口創出プロジェクトもとても魅力的で、地域の人と一緒にどろん田バレーというイベントを復活させたり、地元の酒蔵さんとコラボして日本酒をプロデュースしたりと、都会から来て地域の人たちと一緒に汗をかく「共創人口」が増加中なのです。
2-2.根のある暮らしを届ける島根県石見銀山大森町
心の底から “ここに来られてよかった〜” と感動した地域です。松場登美さんの言葉と佇まいに完全に心奪われてしまいました。
登美さんの「まちおこしというけれど鎮めることが大事」という言葉にハッとさせられました。
それを物語るかのように、大森町の風景が、音や風や光がとても美しくて、どっしりと地に足ついた暮らしがこれからも続いていくのだろうと頼もしく感じられます。日本の暮らしに学びたいと思っていた気持ち、大事なこと、里に息づく精神のようなものを久しぶりに思い出すことができたように思います。
日本らしい里山の風景を遺してくださっていることに、ただただ感謝と敬意を表したいです。
「復古創新」というのは「受け継いだ古い大切なものを、現代の価値観に合わせて手を加え、新しい世界観を創造する」という意味の言葉だそう。
こうした考え方、暮らしの根底にある「土地の力」に導かれて若い人たちが集まっているのでしょう。たった人口400人の大森町では今、空前のベビーラッシュが起こっているのだとか。
石見銀山は2007年に世界遺産に登録されていますが、実は当時、住民のなかには複雑な想いを抱えていた方も少なくなかったようです。
「町にはキャパシティーがある」
とにかくたくさん人が来れば地域が元気になるわけではない、ということを大森の人たちは悟っていました。
「人間尺度 Human scale」を軸にすえた地域再生ストーリーについては、ぜひ登美さんの著書を手にとってみてください。
2-3.湯治場で若者がむらづくり山口県長門市俵山地区
最後に紹介するのは、個人的にも思い入れの強い地域、山口県長門市の俵山地区です。ここで卒業論文を書かせていただいたのが、かれこれ5年ほど前になるでしょうか。
その頃から俵山の地元の方々のエネルギーはすんごかったんです。「いけいけどんどん」で公民館がオリジナル日本酒をつくってしまって怒られるとか…笑
2020年にはSD-Worldという住民出資の株式会社を立ち上げています。ちなみにSDはスパドリームの略。スパドリーム!
1100年あまり湯治場として愛される「俵山温泉」
そこに最近、若者が集まってきているようなんです。ななんと、その内の一人が私の留学仲間だったりして(たまたまにしては出来すぎている)、2021年の秋に久しぶりに俵山へ行ってきました。みなさんに久しぶりに会えて嬉しかったなぁ。
若者たちの様子はこちらから覗いてみてください。
俵山のブラックホール人材は若者シェアハウス発起人の吉武大輔さんですね。この方を訪ねて全国からいろんな人がひっきりなしに出入りしていました。
俵山ビレッジという屋号をかかげて「健康をテーマにした新しい湯治場」コミュニティを形成中。訪れるたびに町の風景が少し変わっているかもしれないと思うと、また俵山へ行くのが楽しみです。
まとめ
若者があつまっている地域の要素をまとめました。まだまだ精査が必要なのでフィールドワークを通して深めていきたいと思います。
さいごにメッセージを。國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』とヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』からインスピレーションをうけて「余白」と「あそび」を重ねてみました。
「余白でそうぞうする」というテーマでお届けしてまいりましたが、実は「余白」とは何か?という肝心なことを話していないんです。哲学書でもなんでもテーマの本質が一番よくわからないというのはよくあることですが、あらためて、よくわからないからこそおもしろいと感じます。
これからも考え続けていきたいです。
対話② 余白でどんな「あそび≒そうぞう」をしたい?
最後のグループ対話は、これからどんな想像/創造をしていきたいかということなど自由に語り合いました。
・最後のスライドは1人が踊っているところに2人目が入ってくるフォロワーの大切さを思い出した。(参考:TED Talk)
・10年前、地域に移住したときはもっと危機感で溢れていて、余白で遊ぶという余裕はなかったなあ。移住者と関係人口の違いもありそう。
・若い人が集まる地域は関わり代があって「楽しそう」「成長できそう」の他に、その地域内や近隣にきちんと収入を得られる職場があることが大きいと感じます。
・余白だらけでも困るしなさすぎるのも困るな。
・ついつい「余白」を埋めたくなってしまうけど「何もしないことも大事」とデンマーク式のホルケホイスコーレで学んできたので、とっておく余白も意識したい。
気づきと今後に向けて
研究と実践をつなげるおもしろさと、自分にできそうなことを改めて知ることができた時間でした。「それが言いたかったんだよー」とか「そういう考え方があるんだ」って現場の方々がおもしろがってくれて、とてもとても嬉しかったです。
そして、「学べた」「おもしろかった」というだけでなく、「新たな問いが浮かんだ」「もっと考えたい」などの声もいただけて感無量でした。
学問には見える世界を変える力がある。
だからこそ、気をつけたいんです。伝えることの責任を感じます。寄り添うのか、あえて距離を置くのか、きっかけを授けるのか、道筋を示すのか。わかりやすく単純化しすぎるのも罪なのです。
思想の押しつけにはなりたくないし、ローカル礼賛にもなりたくないなと。
まだまだ話すのも下手ですし、偉大なる先人たちの知をお借りしてばかりなので、自分のなかもどんどん新陳代謝させていきたいと思います。
プロはいつでも準備ができている。少しずつでも地域の研究や実践のおもしろさを伝えられるように準備しておきたい。
来年は人前でお話する機会が増えそうな予感がするので、これを肝に銘じて2022年の締めくくりとしたいと思います。
それでは、また来年!
よいお年をお迎えください。