世界と日本の風と土

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日本とイギリスで農村計画を学ぶ女子学生のブログ。いかしいかされる生態系に編みなおしたい。

[開催レポート]移住10年目トーク!地域おこし協力隊のその先へ

みなさんの周りには地方へ移住された方はいらっしゃいますか?

 

東日本大震災やコロナ禍を経て、生き方や働き方の価値観が多様化しているように感じる今日この頃。

 

移住を考えてて~とか、友達が移住して~とか、前よりもよく聞くようになった気がします。メディアでもそういった特集が増えているような。

 

こうした動きは10年前、私がちょうど農村の研究がしたくて大学に入った頃には、まだそこまで身近じゃなくて結構ハードルが高かったように思います。

 

その分、移住した人たちはとにかく面白い人が多かった(今も面白い人はたくさんいますけど割合的にね)。いい意味で、変な人、尖った人、ユニークな人というのか、そういう勢いのある人が多かったような記憶があって

 

地域側も ”ヨソモノ” を受け入れるようなところは、どこかほかとは空気感が違いました。ごちゃまぜでアドリブ的な化学反応を楽しんでいるような雰囲気とヨソモノを見極めるようなヒリヒリ感がせめぎ合っているような感じ。今ほど洗練されてなかったといいますか。

 

そんなことも振り返りながら企画させていただいた今回のイベント「移住10年目トーク

 

地方創生という言葉もまだなかった頃に移住されたゲストをお招きして、どのように暮らしや仕事、地域との関係を築いてこられたのかをお聞きしました。

 

移住に興味がある人、すでに移住した人、移住をサポートしている人、それぞれの立場から何かを持ち帰ってもらえていたらと願っています。

 

このブログは

・イベントに参加できなかった方への共有
・いつか移住する自分への教訓
・主催者としてのふりかえり

のためにまとめました。読んでくださっているみなさんにとっても何かの参考になったら嬉しいです^^

 

 

ゲストの紹介

今回は2014年に地域おこし協力隊として移住された
 長野県伊那市の齋藤さんと
 鳥取県岩美町の間淵さんを
ゲストにお招きしました。

 

お二人ともひとことでご紹介するのは難しいのですが(ローカルプレイヤーあるある?笑)

 

齋藤さんは南アルプスの麓、伊那市駅から徒歩3分というアクセス抜群の場所で、街宿MILLEというゲストハウスを運営されています。同じ建物内に多拠点サブスクサービスADDressの伊那拠点も構えていらっしゃって、行く度に全国を旅している方や山登りが好きな方などに出会える素敵な場所です。


齋藤さんご自身も山登りがお好きで、山並みを見て〇〇岳とわかるほど!ほかにも釣りの経験が豊富だったり競馬の裏側(馬と人の絆みたいなこと)にも精通されていたりと、いったい何者なんじゃ⁉︎というお方なのです。

 

東日本大震災のボランティア経験を通して地方移住できるかもと思うようになりました。伊那への移住はたまたまです。協力隊当時は商店街の活性化がミッションでした。今はキャリアコーチングの仕事をしています。地域になんとなく移住してる人の方が成功しているような気がするので、今日はそのエビデンスについてもお話できたらと思っています。

 

間淵さんは鳥取県日本海側、兵庫県との境に位置する岩見町で昭和民宿龍神荘を経営されています。とにかく海が大好きとのことで、岩美町の海に惚れこんで移住されたというほど。


キューバダイビングのインストラクターをされていたこともあるそうで、今は素潜りの漁師さんでもあります。獲れたお魚は鳥取県内や大阪でも販売されているのだとか。まさに海の漢!YouTuberの一面もあり、毎度の合言葉は「それではまず1杯、おつかれさまで~す」。間淵さんのお話を聞いていると元気が出るんですよね〜。不思議です。

 

協力隊当時のミッションは3年で民宿を再生することでした。民宿は夏と冬だけなので、それ以外の期間は漁師をしたりと他のことでも働いています。田舎に移住してきた時は、朝海を眺めながらコーヒーを飲むだけで田舎いいな~となっていましたが、10年目になって都会も楽しいよな~となってきています。笑

 

ゲストトーク

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最初のトークセッションは参加者のみなさんに質問を決めていただきました!どの質問が選ばれるかな〜とドキドキです。

 

ちなみに選択肢はこちら!(研究室の後輩に相談しながら事前に考えました。ありがとう。)

 1.自分のやりたいことや役割をどう見つけて確立していった?
 2.移住後ギャップやもどかしさを感じたできごとは?どう乗り越えた?
 3.10年間で自身の価値観や地域との関係はどう変化した?
 4.定住しようと思ったのはいつ?何が決めてだった?
 5.「都会風をふかすな」「よそ者がでかい顔するな出ていけ」最近のSNS炎上どう思う?

 

10年間で自身の価値観や地域との関係はどう変化した?


最もみなさんからの票をあつめた質問から参りましょう。やはり移住10年目トークというだけあって、10年の間にどんな変化があったのかは気になりますよね。

 

金銭感覚が一番変わったと思う。田舎はお金を使わないから。コンビニに行くにも車で20分とかかかるし何もないんですよ。
地域との関わりといったら、最初は地域に馴染むためにごますったりしたんやけど、時間が経つにつれて間淵に任せようという流れも出てきたりして、今は整理して断れるようになったな。移住した人間なので、これ以上は無理ですと。

 

間淵さんは移住された当初、かなり地域との関係づくりに苦労されたとお聞きました。地域との関係性はこの10年でどう変わっていきましたか?

 

そもそも行政が地域おこし協力隊として移住するってことを地域に伝えていなかったんですよ。地域の人のなかにはテレビを通じて自分が町に来たことを知った人もおるくらいで。「この町は移住者を受け入れていない」って無視攻撃を食らったり・・・。まあ、昔、移住者が盗難をしたという事件があったみたいなんやけど。

でも、ある日、玄関先にバナナが置いてあった!それで確信したね、仲間おるぞ!と(笑)。そんで、いっくら無視されても挨拶は続けてた。時間が経って今では町の人達とは家族みたいになってる。

 

すごい壮絶・・・。地域の方たちと信頼関係を築くのはとっても大切ですが難しくもありますよね。地域=共同体、ひとつの一家と見立てた時に、最初の入り口のドアが重くて何度もノックしないと入れさせてもらえないパターンと、入り口はガバガバで誰でもいらしゃ〜いだけど、家の中入ったら開かずの扉がいっぱいあるような地域と、色々あるだろうなぁと思いました。

にしても行政!地域とのつなぎ頼みますよぉという感じですね。こうした先輩移住者がいるからこそ、今の移住のしやすさにつながっているのだなと思います。

 

齋藤さんにも聞いてみましょう。

 

地域の人とは最初から仲良くさせてもらってましたね。最初に誰と繋がるかが大事だと思うんですよ。僕の場合は、商工会議所青年部の元部長とその仲間たちと繋がったことで一気に地域との関係が広がった。あとは、地域の人たちとの共通体験をどうつくるか。いっしょにご飯を食べたりと共通体験をしていったら、伊那は炭水化物をすごくとる町なので、最初の1ヶ月で5キロほど太りました(笑)

地域との関係で苦労したことがあるとすれば、旧町村エリアとの関係ですね。伊那市は、旧伊那市・旧高遠町・旧長谷村の3つが合併してできているんですけど、旧町村エリアにいる一部の方々から「あいつは伊那」みたいなレッテル貼りをされるシーンもありました。

 

ご自身の価値観などの変化はいかがですか?

 

幸せの価値観が変化したと思いますね。野菜をもらったり、ブランド米を破格でいただいたり。 個人のお店が多い街だから、東京では地域の人と話すことはほとんど無いけど、伊那ではお店の人と話して過ごせる。あとは、 缶コーヒーが飲めなくなったんですよ。東京では糖分とかエネルギーチャージしていたんですけど、伊那では缶コーヒーなんて出来るだけ摂りたくないなと思うようになりました。

 

移住後ギャップやもどかしさを感じたできごとは?どう乗り越えた?


参加者投票第2位の質問へ参りましょう。移住関係の話では必ず湧いてくるミスマッチ問題。思ったのと違ったーというギャップなど、お二人にはあったのでしょうか。

 

無視くらいで、いじめとか攻撃はなかったから、いつかいけるやろ(突破できる)と思ってた。地域の掃除とか祭りなんか出れる行事は全部出たし。地域のなかに派閥があるのは知ってたんで、いろんなところに顔出して「みんなと仲良いんで」と言ってました。

 

地域の派閥問題ありますよね~。移住者だからこそいろんなコミュニティに顔を出して満遍なく関わりを持てる。地域を横につなぐ役割は移住者だったりするなと各地をみていて思います。逆に、移住者だけでコミュニティをつくってしまうパターンもあって、そうすると住民 vs 移住者みたいになってしまうので気をつけないとですね。私も移住したら最初はふらふらしていようと思いました。

 

齋藤さんにも聞いてみましょう。

 

ギャップっていうのは自分の期待感とのギャップだから自爆してるだけだと思うんですよね。そういう意味では地域に対してのギャップはなかったです。

ただ、民間と行政のギャップが凄まじくて・・・。伊那市として初めての地域おこし協力隊だったっていうのもあるんですけど、お互いに初めてだし、よくある民間との文化や仕様、スピード感とかのすり合わせはお互いに大変だったと思います。あと、活動の中で何人かヤバい人だったというのも後からわかったこともありましたね。

地域の行事や活動にいろいろ参加していたのはよかったなと。上伊那のなかでも自分の地域以外とのつながりづくりを月1くらいでやっていました。全国のつながりもあったし、応援してくれる人がいたので心が折れなかったですね。

 

***

ゲストトークの後は、参加者の方にブレイクアウトルームにわかれていただき、感想やゲストに質問してみたいことの共有をしていただきました。

お次の質問コーナーではみなさんから募集した質問をゲストのお二人に投げかけていきます。

 

質問コーナー

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じゃじゃん!参加者のみなさんから質問をたくさんいただきました。どれにしようかな~と見て行くなかで、齋藤さん・間淵さんとこれおもしろいね~となった質問から参りましょう。

 

地域おこし協力隊の活動について、タイムマシンに戻って1つだけ過去を変えられるとしたら何をしたいですか?


タイムマシン!いいですね~夢があります。移住したての協力隊だった3年間を振り返ったときに、お二人のなかにどのような過去の風景が蘇るのでしょうか。

 

もう一回やり直せたら、もっと飛ばしてぐわーーってやって良かったなと思う。めっちゃ全力でやったけど、やっぱりちょっと自分に甘さがあって、時間がたらなかったんですよ。すごい甘えてて田舎ののんびりにちょっと流されたというか。
民宿ってやっぱ時間すっげーかかるんですよ。 お客さんつくって、その人がまた次来てくれてって安定するまですごい時間かかるんで。民宿をするのが初めてやったんでその辺がもう全部手探りやった。

 

3年間あるうち、どのくらいのタイミングで独立の準備をしたら余裕をもてたなというのはありますか?独立って具体的にはどのように準備していくのでしょうか?

 

独立しようと思ったら早ければ早い方がいい。それで3年間の方向性が全然変わってくるんで。 まあこれは僕の意見です。

僕は独立するのに銀行から600万ぐらいお金借りたんですけど、いきなり協力隊の給料でお金を借りられるかっていったらちょっと不安もある。昔自営業やってたこともあって、銀行とは仲良くしとった方がいいなと思ってたから、最初から支店長にめっちゃ相談しに行ってた。そしたら協力隊枠みたいなのがあって、そのへんをうまく使ってくれて借りられたんだけども、やっぱ地元の銀行さんとのグリップはつくっておく方がいいね。

 

独立したいというのが決まったら、すぐに色んな人に話しかけて準備した方がよさそうですね

 

せやね。とにかくやってる人のところに行って聞いたらいいと思う。例えば、民宿だったら旅館業の営業許可とか飲食店の営業許可が必要になる。開業するという部分では開業届け出したりとか。 そのノウハウも全然わかんないなかで全部自分で勉強しながらやってたら時間なんぼあっても足らない状況なのですよ。本当色んなことがあるんで。

 

齋藤さんにも聞いてみましょう。

 

そうですね。今が変わらない程度で変えられる過去ってあるかなと思ったときに、初年度の予算配分は変えたかったなていうのはあります。協力隊って、生活のベースとなるいわゆる給与と呼ばれるものとは別に経費があって、伊那の場合は150万かな、ありました。確か150のうちの半分近く70とかが消耗品費に割り振られてて、消耗品なんて 70も使うかっちゅう話なんですけど、全然気づいてなかったんですよ。すぐに変えてくれって言っても、予算の変更をするのに次の議会まで待たなきゃいけないって言われて・・・。そのタイムロスが結構痛かったですね。やっぱり極力 、旅費とか研修費とか、自己投資にお金を割り振った方がいいですよ。3年後の自分が直面する現実に適応できるための自己投資をどれだけその期間でできるかってことは、やっぱり厳しめに意識して準備しておいた方が間違いないなと思いますね。

 

なるほど自己投資。お金の話は協力ならではの面もありつつ、地域で事業をつくっていきたい人にとってはすごい大事な部分だなと感じました。

 

定住者と移住者の狭間とは?いまだに自分としては関係人口というか、地域住民という感覚が持てません。


続いての質問です。これは私も聞いてみたいと思ったのですが、よそ者から地域の住民になっていく感覚ってあるのでしょうか?境い目があるのかグラデーションなのかそのあたりいかがでしょう。

 

これはね、住民感覚を持てなくて当然やと思うんですよ。もともとが地域外の人間なんで、そのままでいいと思いますけどね 。あえてその地域の住民になろうとする必要はない。 移住者目線で見てて、仲良く交流するという感覚でたぶんいいと思うんで、大丈夫と思います。

 

僕は役割かなと思ってて、最近は地域からオッケーもらってる感があるから落ち着いてるんですけど。

 

役割といいますと?

 

地域の中の問題を解決するために必要なのは、たしかに地域の外の力なんですけど、それは東京のコンサルに頼めば解決するっていうとそういう話じゃなくて、地域のコミュニティに所属している人がバンバン外の世界と接点を持って、外の世界の人と繋がってきて、その人が帰ってきて、その広げた世界観の中から得た知識・情報・人脈みたいなものを地域にシェアした時にその地域の大前提が置き換わって育まれるものなんですよ。だからそこの役割の人っていうのを許容できてる地域がたぶん生き残るんですよ。地域にいる時間が少ないからっといって定住してないとか地域感覚がないっていうとそういうわけではないと思います。

たとえば、僕が地域の外から帰ってきて街中でコーヒーを飲んでたりすると、今度はどこへ行ってたんですかとか、インスタ見ましたよとか、そういうのが普通の会話になってるから、地域がそれでいいって言ってくれてる。やっぱり帰ってきた時にホーム感がある。 東京なり大阪に行って、 諏訪とか伊那に戻ってくると帰ってきたなって自分が感じられるから、それが地域感覚っていう感じ でいいじゃないですかね。

 

帰ってきた感いいですね。無理に住民になろうとしなくても地域をホームだと感じられる。逆にホームはいくつも持てるものなのかもしれないなと思いました。

 

***

ここであっという間に終わりの時間が来てしまいました…!いったん中締めをさせていただきまして、その後は残りたい人でアフタートーク。ほとんどの方が残ってくださり嬉しかったです。

 

アフタートーク

こういうイベントってアフターの方がおもしろいお話が聞けたりしますよね!オフレコの内容もあるのでここにはちょっとだけお見せします。

 

永住する?

 

年齢的にもう永住かな。次また新しいところへ行って一から築く力があるかといったら、今ここも気に入ったしね、永住ちゃ永住かなと思う。

 

震災の時に10年後に長野にいると思ってなくて、じゃあこの後10年経った時にもここにいるのかっていわれると、ちょっとまだそうですって言い切れないところがあって。でも、仮に10年後に海外に拠点を移してたとしても、1年の何日かだけは伊那で過ごしてるんじゃないかなと思うんですよ。

 

海外進出ですか!?

 

仕事の展望というやつがいい意味で分からない。自分がずっと日本だけで仕事してるのかって言われると 、うーん、ここは自分で決めない方がいいかなと。一応、今年の夏から1年に何度かTOEICは受けようかなと思ってて。何点まで上げられるかちょっと分かんないですけど、ある程度のスコアを取ると今は普通に外資とかそういうところの仕事が入ってきたりするじゃないですか。そういう可能性を自分で閉ざさない方がいいなって思ってます。

間淵さんも英語を勉強しに海外へ行くような話をしてましたよね?

 

うんうん。行けたら今年、短期でいいから留学をしたくて。うち、民宿とは別に一棟貸しもやってるんだけど、結構外国人がきてくれる。スマホの翻訳とかで喋るんですけど、英語ができたらもっと日本の良さを伝えられるのにどうやっても伝えきれないんですよね。めっちゃ満足して帰ってくれるんやけど、なんかもう歯がゆいというか悔しくて。それがきっかけ。

 

外国人向けには広告を出してるんですか?

 

広告は全然出してなくて、グーグルマップとかみて来るみたい。外国人で魚嫌いな人もいるじゃないですか。でも日本海側の民宿へ行くと絶対に魚が出てくるから嫌なのよ、かといって素泊まりで泊まってコンビニで買ってきたもんになるのも嫌だし。ということで、うちの一棟貸しならキッチンも全部使えるから、自分たちで好きな料理つくって食べて海で遊んでっていうのができるから最高みたいなんですよね。

 

地域内と地域外のお仕事の割合は?

 

難しい質問やね。民宿だからほぼ地域の外の人が対象になる。漁師の方も大阪へ売りに行ったり通販したりっていうのが地域外になるんだけど地域内に仕出しはしてる。コロナの時はおばあちゃんとか町に出られなかったからお弁当配達もやったりもしたな。宴会もできるようにはしてるけど、まあ地域向けはぶっちゃけ儲からない。割合でいったら売上の10%くらいじゃないですか。やっぱりこっちもサービスしてあげたいし、つながりでやってあげるよみたいな。

 

ゲストトークでもありましたけど、幸せの価値観と金銭感覚っていうお話で、お金よりもお裾分けだったり、気持ちとか、ちょっとしたお手伝いとか、そういうところでコミュニティを保ってる面は結構ありますよね。

 

ほんと。まだ物々交換なんで田舎って。10年住むと物々交換も知識がついてくる。魚なんて海沿いの人にあげると喜び度合いも少ないので山の人にあげる。そしたらタケノコとか海でとれへんものが見事に返ってくるんで。

 

ぼくも協力隊時代に物々交換モデル実験とかやってました。長野のブルーベリーを南の島に送ってマンゴーとかドラゴンフルーツを送ってくださいとか。単純にりんごとミカン交換しましょうとか。東京を通さない経済圏のつくり方が凄い大事だなと思って、そういうお互いのないものを交換して付加価値を出す取り組みをやったりもしたんですけど、さっき間淵さんの話にもあったようにその辺って趣味レベルでしかできないんですよね。売り上げ的には外貨を稼いで地域で回すシンプルなスタイルにならざるを得ない。

ただ一方で、儲けなんてほぼないようなもんだけど、信州大学の子たちが住むシェアハウスを街の中で運営しているっていうのはすごく自分にとって価値があることなんですよ。毎年娘が卒業していくような感じで。キャリアとかも相談しに来てくれるからね。そういう日々の時間を偶発的にでも生み出せる存在ってすごいプライスレスじゃないですか。このあたりがやっぱりウェルビーイングとか、本質的にすごい重要かなと思っています。

 

地域外との繋がりをつくっておくっていうのもすごい大事ですよね。仕事の面でもですし。私の知り合いで移住してる方たちも地域に1回入っちゃうとそこの考え方がすごく染み付いてしまって、その地域の中でしか自分の役割を果たせなくなっているんじゃないかっていう、キャリアアップも含めたスキルアップが不安みたいな話を聞いたりもします。地域の内・外どっちもつながりをつくりながら仕事も合わせ技でできるといいのかなっていうのはすごい感じますね。

 

初期の協力隊と、現在の協力隊の違いは?

 

今の協力隊は前に比べて活動しやすくなってる反面、自分を出しにくくなってるんかなと思う。僕らの時代って、行政がわかってないまま協力隊を受け入れているような状態だったんで、すごい行政と揉めながらやってた。今はある程度、枠が固まってしまってるんで、それでほんとに定住できんのかな?って疑問に思うことはありますね。

 

最近は “間違いだらけの課題解決型” っていう話をしています。地域の課題解決っていう名目で協力隊を採用するのすごい増えてるなと思ったんですけど、僕から見た時に、それ地域の課題じゃなくて行政の課題だからってのがすごい多くて。その課題を解決しても行政がおいしいだけで、その人は定着するための期間とかキャリアにはならないみたいなのがすごい多いなと。

 

ほんと定住の準備さえできない内容もありますもんね。

 

うん。それで最後職員で採用するっていう手口ちゃんと持ってるんですか?っていうとないって言いますよね。それで息ぎれして1~2年でやめちゃうみたいなね。行政側の人事異動でひっくり返っちゃうこともあるし。やっぱり一人ひとりが地域の中で役割を得て、新しい価値を生み出すっていうか、新しいコミュニティに組み替わった瞬間に何かが生まれてるからそれを繰り返していくことだと思うんです。でも、そうではなくて、大きい会社とか大きい大学とか外圧的なもの、あるいは移住者の数を増やすっていうイメージ的なもので成果を示そうとする担当者もいるからね。

 

移住者の子どもたちはどうなる?

 

新しい教育スタイルっていうものに対してすごく地方に可能性を感じています。遊ぶように学ぶ時代っていわれる中で、海とか山があるところがいいじゃないですか。変化もあるし興味関心を引くものがすぐそこにあって。そういう意味でのポテンシャル、移住者の子どもたちにとっていい時代なんじゃないかって思ってるんですよ。

海士町を皮切りに地域留学をやっているし、軽井沢風越学園大日向小学校っていう2つの学校が生まれた結果として、このエリアに千人単位の人口流入が起こってるんですよね。だからやっぱり今まで通りの日本の従来の教育スタイルだと子どもたちがこれからの時代ですごい不利益を受けるって考えている親がそういうのをすごく探していると思う。

岩美町では子どもたちの体験みたいなことやってますか?

 

もっとでかいスーパーに見学へ行ったりしてますね。もっと従業員がいてもっと大企業に。

 

町長とかに言ってやめさせた方がいいですよ、伊那市は変えたんで。スーパーをみんなで見て回るより間淵さんの民宿で一緒に海に潜ったり、外国人と交流したりとかの方が絶対教育的には良い体験だと思うんだけどね。で、たぶん、そういうことやってるってことがわかると、鳥取の中でも子どもをそこに行かせたいっていう親いると思うんですけどね。

 

本当にそうなってくれたらいいことですよね・・・

 

私は東京の多摩の辺りで育ったんですけど、全然地域とのつながりもなくて。さっきおっしゃってたような帰ってきた感とかホーム感みたいなのがないので、やっぱりそういうところで子どもを育てて、子どもたちも地域の中で成長して、そこが子どもたちにとって帰れる場所の一つになっていくような未来が増えていったらいいなっていうのは自分の将来も含めて思いますね。それが定住につながるかどうかは置いとくとしても、そういう地域の豊かさの中で人が育っていくということにすごく価値があるんじゃないかなと感じています。

 

参加してくださった方からの声

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ご参加いただいたみなさま、本当にありがとうございました!いろいろなキーワードを持ちながらそれぞれの地域に関わられているみなさんとご一緒できてうれしかったです。

 

感想もたくさんいただきました。一部ご紹介させていただきます。

 

  • 貴重なお話ありがとうございました!「帰ってきたな感」のお話すごく良いなと思いました!

  • 帰ってきたな」と思えるよう生きていきたいと思います。ありがとうございました。

  • 言葉で言うのは簡単ですが、無視されていた時、そこからの時間のお話をありがとうございました。最初の1人が誰かという学びも貴重でした。実践されてきた方のお話しは深い学びになります。

  • 地方の学校教育の在り方、共感しました。地方の高等学校も地域との連携をより深めることが子どもたちの学びを深めることにつながると思います。

  • めちゃめちゃ面白かったです。僕も地域の外から入って地域のことをやってる方ですけど、やっぱりそうやって地域に足半分突っ込んで外の知見を活かしてとか、交流がめちゃめちゃ大事なんやろなと思ったので、いろいろまた地域の人と企んでいきたいなと思います。

  • 10年の厚みって凄いなと思いました。投げかける質問によって同じような質問だったとしても違う情報が出てきて、やっぱり人は人間関係の中で生きているんだなっていうのをすごく実感しました。

  • 私は地元へのUターン組で、そろそろ地元でできるかなと思って帰ってきたんですけど、お金の借り方とか結構悩んでいて、借りないといけないかな?投資家から引っ張ってくるかな?補助金使うのかな?みたいなのがあったので、また詳しくお話を聞きしたいです。

  • 地域の歴史になっていくか、なっていかないかみたいな感じが今日の話を聞いて想像が浮かんできて良かったです。ありがとうございました。

 

おわりに ~企画・進行してみて~

齋藤さんと間淵さんのお話がとにかくおもしろいし学び深いしで、企画者が一番得するイベントでした~!長野の山と鳥取の海が身近に感じられます。遊びに行けるところが増えてうれしい。

 

移住に限らず、地域との出会いや関わり方は十人十色。

 

お二人のお話をきいていて、人生のどのタイミングで移住するのか、一人なのか家族がいるのか、移住者の先輩はいるのかいないのか、仕事を持ち込むのか新たにつくるのか、いろんなことが絡みあって、私たちの生き方も地域の未来もちょっとずつ変わっていくのだなと感じました。

 

いずれにせよ、自分がもっている世界観や心地よさみたいなものを大事に生きていこうとする気持ちと小さな一歩の積み重ねが大切なんだろうと思います。その結果が移住やライフスタイルにあらわれているだけで、そうした選択の連続が人生なのだと、そんなメッセージを受け取りました。

 

みなさんはどんな風に人生の舵取りをされていますか?流されたりハンドルを握ったりいそがしい毎日ですが、一度きりの人生、楽しんでいきましょう!