世界と日本の風と土

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日本とイギリスで農村計画を学ぶ女子学生のブログ。いかしいかされる生態系に編みなおしたい。

[開催レポート] 移住その先トーク!天龍村の若きお母さん3人組

移住のその先、気になりませんか?


かっこいい移住ストーリーが注目されがちだけど、なんとなく好きな地域に通うようになって気づいたら移住してて、家族ができて暮らしている。そんな移住も素敵だなと思います。


前回の「移住10年目トーク」につづき第2弾は、長野県天龍村に新卒で移住して今はお母さんとなった3人組をゲストにお招きしました。


天龍村のどんなところに惹かれたの?
・田舎で子育てって実際どう?
・村で暮らしていて将来不安になることはない?
・幸せを感じるときってどんなとき?


同世代ということもあり、個人的にも聞いてみたいことがどんどん浮かんできて、とても学び多き楽しい時間になりました◎

*前回のイベントレポートはこちら

windtosoil.hatenablog.com

 

トークイベントといっても移住のその後をゆる~く語りあう会です。移住に興味がある方、すでに移住された方、移住をサポートされている方、それぞれの立場から何かを持ち帰ってもらえたらと願って企画しています。


この記事を読んでくださっているみなさんにとっても何かの参考になったら嬉しいです!

 

 

天龍村の紹介

まずは天龍村のご紹介から。私もまだ天龍村に行ったことがないので知らないことだらけでしたが、長野県の南の端っこ、愛知県と静岡県の県境にある村なんですね。


人口は1200人弱、だいたい3人に2人が65歳以上で、全国でも2番目に高齢化が進む村だそう。


面積の94%が山林で、天竜川をのぞきこむような急な山肌でお茶の栽培をしています。中井侍(なかいさむらい)という地名もなんだかおもしろい。ほかにも柚子ていざなすという顔の大きさくらいでっかいナスが特産品です。


1月初旬には、霜月神楽という、釜に湯を沸かしてその周りで夜通し舞を奉納することで地域や子孫の繁栄、無病息災などを祈願する伝統行事が3つの地区で行われています。山郷の霜月祭りは知っていましたが天龍村にもあるんですね。


生活環境をみると、コンビニがなくて、スーパーも去年できたばかり(小さな商店はあるけど後継ぎがいないそう)。信号機がないのには驚きました。

www.yomiuri.co.jp

 

ゲストの紹介

都会で暮らしていたらまったく想像ができない天龍村の環境ですが、3人のゲストのみなさんはどんな暮らしをされているのでしょうか?天龍村へ来ることになったきっかけとあわせて聞いてみました。

 

村澤葉花です。大学生の時に先生が天龍村を紹介してくれて、天龍村にはまって、東京から月1回通い詰めて、次の年には半年ぐらい天龍村ですごしていました。もうとにかく移住したくて地域おこし協力隊になりました。

今は4人子どもがいて、普段はNPOツメモガキっていうNPO団体で、ゆべしつくったり、お茶をブランド化したり、地域のものを使ったお菓子をつくったり。あとは、個人的にはお弁当屋さんをやっています。

 

宮澤花子です。私は京都出身で、大学が信州大学だったので長野県に来ることになりました。天龍村の方が出前授業に来てくれたのをきっかけに天龍村を知って、学生時代に通いつめて、移住しました。

普段は、10月末に二人目が生まれるので、もうすぐまたお休みに入っちゃうんですけど、村の小学校に週2~3回、1回2~3時間程度、非常勤講師という形で総合や生活の授業のサポートに入らさせてもらっています。

 

西野明花です。葉花ちゃんと大学からずっと友だちで、先生の「天龍村で鹿狩りしてきたんだよ」っていうひとことで、行ってみたい、食べてみたいって思って、初めて来た時にドはまりしました。そっから天龍村のことを考えなかった日はないくらい毎日考えてて、月1回天龍村に行って、気づいたらじゃあ明日からもう帰ってこないからねっていう感じで、気軽に移住をして、地域おこし協力隊になりました。

大学の頃から天龍村の経済循環とかも調べていて、そのまま買い物事業に関わっていたので、今は集落支援員として買い物に行けない人に配達をしたり送迎をしたりしながら、村のいろんな人に会いに行くっていうことをしています。

 

みなさん学生の頃から天龍村に通われていて大好きすぎて移住されたとのこと。村への愛がすごく伝わってきます!今よくいわれる関係人口から移住につながる理想的な流れでもありますね◎

 

ゲストトーク

最初のトークセッションは参加者のみなさんに質問を決めていただきました。


選択肢はこちら

 1.天龍村に暮らしていて幸せを感じるときはどんなとき?
 2.学生時代 → 移住直後 → 出産後で自身の価値観や地域との関係はどう変化した?
 3.新卒で移住しようと決断できた背景には何があった?
 4.移住後にギャップやもどかしさを感じたできごとは?どう乗り越えた?
 5.天龍村で子育てすることの良い点と不安な点は?

 

学生時代 → 移住直後 → 出産後で自身の価値観や地域との関係はどう変化した?

最も票をあつめた質問から参りましょう。お三方とも天龍村に住み始めてから7年ほど経つとのことで、大学生だった頃から今まででどんな変化を感じているのでしょうか?

 

学生の時は、行ったことない地区に行くとか出会ったことない人に会うっていうのが最大の楽しみで、どのイベントも欠かさずに出るほどでした。何回も通うにつれて名前で呼びあえる関係性ができていきました。

協力隊として移住して満月屋っていうゲストハウスを運営していました(今は子育てでお休み中)。結婚して本当にここに住んでいくってなった時に、すごく受け入れられたなって感じましたね。たとえば、結婚式も村で自分たちで手づくりでやったんですけど、来てもらった人に村のおばあちゃんのご飯を食べてほしくてお願いした時には、みなさん一つ返事でやってくれて、200人規模の料理を用意していただきました。

そして子どもを産んだ時には、子どもは宝だっていって、私は自宅出産だったので1週間以内に会いに来てくれて、お祝いを持ってきてくれたり。そのような感じで、結婚して、ちゃんと定住してから村の人との関わりはちょっとずつ変わって密になっていったかなと思います。

 

すごく結婚式のエピソードが心温まるなと思って、ほっこりした気分になりました。ありがとうございます。花子さんはいかがですか?

 

学生時代通っている頃は、ほんと大学生が村にいるっていうだけですごい珍しいので、いろんな人が声をかけてくれて、どっから来たの?何しに来たの?って言って、ご飯たべてきな~とかお茶飲んでいきな~とか、本当にみんな温かく受け入れてくれました。地元の京都では、隣り近所、顔も名前もわからない環境で育って、いろんな世代の人と関わるっていう機会がなかったので、ちっちゃい子からおじいちゃん・おばあちゃんまで、みんなが声をかけてくれるっていうのがすごく新鮮でした。

今住んでみて、葉花ちゃんも言ってたみたいに、珍しいお客さんっていうより、ここにいる一人っていう感じで、道を歩けば「生まれるのもうすぐだね」みたいな声をかけてくれたり、ほどよい距離感でふわっと見守ってくれている感じがします。本当に、自然にここに暮らせている感覚がすごく心地いいなって。学生の時は天龍村は憧れというか、現実から離れてくる場所みたいな感じだったのが、ここが自分の日常になってきたみたいな感じで変化してきたかなと思っています。

 

憧れだった場所が自分の日常に変わったっていうのは、すごい変化だろうなと感じました。村の一員になったなって、どういうところで感じられたのか気になります。

 

村の人から「この役頼むな」とかお願いされることができてきたりすると、自分にも役割があるっていう風に実感することはありますね。

 

なるほど。頼り頼られみたいな関係性ができてくるっていうことなんでしょうか。

そのまま明花さんにも聞いてみたいのですが、ご自身の変化はどう感じられていますか?

 

東京にいた時は、自分自身でちゃんと立って暮らしていかなきゃいけないっていう感じが強くあったんですけど、天龍では本当にみんなに育てられているみたいな感じがすごくあります。

あとは、今までそんなに旬とか気にしたことなかったし料理もできなかったんですけど、食材の活かし方とか食べか方を村の人に聞いたりとか、「もうすぐ雨が降ってくるよ」とか、そういう自然を読み取る力が村の人たちにはたくさんあって、困ったらとりあえず誰かに聞こうみたいな、みんなが先生で、そうやってとてつもなく他力本願で今は生きています。だんだん自分自身で暮らしていく力とか自然を読み取る力をちょっとずつ自分のものにしていけたらなと思っています。

そうやって生きる力をちょっとずつもらっていて、それが本当にここにいるっていうことなんだなって感じますね。大きな意味で関係性を築けているというのが変化ですね。

 

私もずっと東京で育っているので、旬を気にしながら味わうことってあんまりないなぁと思いましたし、明花さんがおっしゃっていたように、自分で生きていかなきゃみたいな、すごく圧があると感じていて、一緒にみんなで生きていくっていう人のつながりみたいなものを求めて移住を考えている方もいるんじゃないかなって、自分も含めてなんですけど感じますね。ありがとうございます。

 

今すごい便利になってて、一人で生きていけちゃうというか。天龍にいると、人と人だけじゃなくて、人と自然との関わりがあって、豊かってこういうことなんだな~って些細な場面から実感してるし、そのつながりの中にちょっとずつ自分も入っていけてるかなと感じることがあったり、まだまだだなと感じることがあったり。

 

外から来た人、移住とか考えてる人には、この村だったら飢え死ぬことはないですって伝えています。村の人が常に気にかけてくれてて、とりあえずこの村で食べるものに困ることはないだろうっていうのが自分のなかでも絶対あって、そこはもう確固たる自負というか、この村の人たちとのつながりのなかで生かされてるって感じます。

 

さっき花子さんから「ほどよい関係性があってふわっと気にかけてくれてる」っていうお話がありましたけど、あんまり気にかけすぎると干渉しすぎで嫌になっちゃうとかはあるかもしれないですよね。そのあたりの塩梅はやっぱり村の人たちの気質なんでしょうか?

 

そうですねえ。田舎あるあるみたいなね、すごい干渉されるとか一般的に聞くんですけど、意外と村にいても都会と同じように閉じこもって暮らせるんです。だけど、自分が出てみようと思って外に出れば、色んな人とつながれます。結局、自分次第で、一日誰とも会わないようにしようと思えば誰ともふれあわずに過ごすこともできるけど、それじゃ自分がつまんないから外出したり畑いじったり喋ったりみたいな、そういう心地よい関係性があるなって思います。

 

住む場所にもよるかもしれないです。通り沿いに住んでいると、ちょうど今家の前が工事してるのもあって、止まってる間によく声をかけてくれます。でもみんな気にしすぎてもいけないって、なんとなく思ってくれていて、その配慮も村の人たちの中にあると思います。

 

移住後にギャップやもどかしさを感じたできごとは?どう乗り越えた?

参加者投票第2位の質問へ参りましょう。何回も通いつめている地域でも、住んでみないとわからないこともあると思います。お三方はどんなギャップを感じられたのでしょうか?

 

村に遊びに来ている時は時間の流れがゆっくりに感じてたんですけど、日々みんなのどかに暮らしてるようで村の人ってすっごい忙しい。例えば、旬の野菜に追われたりとか、行事に追われたりとか。村の人は忙しそうにはしてないんですけどね、だからって村の人に合わせようとすると結構忙しいなって感じます。

 

へえ、そうなんですね!田舎暮らし=スローライフみたいなイメージがすごい強いので。

 

そうですね。東京だったら例えば夜の21時ぐらいまではギリ連絡できるかなって思うけど、村に来たら朝は6時代からOKでも夜は19時でちょっと悩むぐらいの時間設定で、結構違いますね。

 

なるほど。村のリズムがあるんですね。

明花さん花子さんは、いざ移住したってなった時のギャップみたいなものはありましたか?

 

村だと多様な考え方に出会う瞬間は少ないので、そういうところはもどかしいなって感じることもあったんですけど、コロナでオンラインでもできることが増えてきたので、いいとこ取りをしたなと思ってます。

 

村での暮らしのギャップでいうと、学生時代に遊びに来たり協力隊でいた頃は、本当にいろんな地区に行って、いろんな人に会って、村のあちこち飛び回ったんですけど、いざ住むとほかの地区って意外と日常生活で行く機会がなくて、遊びに来てた頃の方がいろんなところに行っていろんな人に会ってたなって思います。

私の住んでる地区が村の中でも町と呼ばれていて、役場、学校、保育園、図書館っていう主要な施設が集まってる地区で、村の人の大半が住んでるので意外と住み始めてみると都会的な暮らしというか、葉花ちゃんみたいに農作業に追われることもなくて、まだ畑とかもやってないです。

それが最初、“あれ、自分ここでこんな風な暮らしがしたかったんだっけ?” みたいに思うことがあって、まあ自分がぐうたら引きこもってただけなんですけど、全然会いたい人に会いに行けてないなと思う時もあったかなって。

 

地区によっても結構ちがうものなんですね。そのような状態からどう抜け出せたんですか?

 

たぶんあんまり変わってなくて、家でぐうたらする時間も好きなんだな自分ってのもあるし、村の人たちのようにはなれないんですけど、そんな私でも受け入れてくれる村の雰囲気の中で暮らさせてもらってるかな。

それでも、ふらっと会いたい人に会いに行ったりすることはあります。天龍村はすごい行事がたくさんあって、行事の度にいろんな人に会えるのがすごい楽しいんですよね。

ただ、悲しいけど、天龍村はどんどん人が減っちゃっている状況なので、当たり前にいつでも会いに行けると思ってた人に急に会えなくなってしまうことが増えてきていて、やっぱり会いたい時にいっぱい会いに行きたいなと思っています。

 

ありのままで受け入れてもらえる。それぞれのペースも大事にしながら暮らしていける。でも、やっぱり会いたい人には会っておきたいと、人を大事にしているのがすごく伝わってきました。

 

質問コーナー

後半は参加されているみなさんから質問をいただきながら対話をすすめていきました。

 

限界集落”という言葉がありますが地域への危機感や未来に向けた不安は感じますか?

 

危機感は感じます。自分がのめり込んでいった時の天龍村、好きな人たちがだんだん弱っていて、それこそ亡くなったりして、じゃあ自分が惚れ込んだ天龍村がだんだん変わっていって、自分の好きだった人たちがすっぽりいなくなった時どうなっちゃうんだろうっていう。自分の生活にもかなり影響はあるだろうし、気持ち的なロスもかなり大きいと思うんですけど、それってなんか未知数です。だから読めない不安みたいなのはなんとなくあります。でも一緒に暮らす同世代や広い年代のメンバーもすごく好きなので、こじんまり落ち着いていくのかなとも思います。

 

景色とか自然環境に憧れてきたっていうよりかは、ここの人に惚れて来ているっていうのもあるので、人間は絶対的にいつかはいなくなってしまうので、そういう不安もあるし、あとはやっぱり車に乗れないと絶対暮らせないなとは思いますね。

あと、自分は好きだからここに来たけど、子どもたちの将来を考えると不安はあります。でも、だからこそ、ここで育って、また自分たちみたいに自分がいいなと思えるところに羽ばたいていってくれれば私はいいかなと思うので、そういう自分自身で見極める力を養ってもらえたら嬉しいなとは思ってますね。その時々で臨機応変に対応していくっていう感じですかね。

 

そうですね。協力隊で来た時は危機感をすごい感じていました。私たちが天龍村に来はじめた頃は1,600人いたのに、もう今1000人切ろうとしている。なので、年間50人とかのペースで減ってて、なんかもうカウントダウンができちゃう、何十年後ゼロだなみたいな。だけど、村の人はなんでこんなに減ってるのに…みたいな危機感を協力隊の時はすごい感じていました。

今は正直そこが麻痺しちゃってる部分もあって、年々減っているのは感じつつも、前ほどやばいやばいって思わなくなっていて。でも、天龍村が好きって自分が思ってるこの村って、二人も言ってたみたいに、ただのフィールドじゃなくて、そこに住んでる人、つながりとか暮らし全部をひっくるめての天龍村が好きっていう気持ちだし、形はこれから変わっていっちゃうと思うけど、残っていってほしいと思うし、人数が減ってしまってもお互いの得意なところで補い合って一人ひとりが繋がり合いを強めていければ、少ない人数で小さな村でもやっていけるんじゃないかなって思っていて。だから、移住って、ただ人が増えればいいわけじゃなくて、本当にここでこれからも住んでいきたいというか、お互いのできることを出し合ったりして暮らしていけたらいいなって思っています。

そういう意味では自分が思ってた危機感とか、やばいよっていう感覚もなくさないように、よそ者目線をどっかに持ちながら暮らしていくことが外から来た自分のできることかなって思います。あとは、村の人たちの生きる力を少しずつ自分も身につけながら、これからも天龍村で一緒に住みたいなって思える人たちと暮らしていけたらいいのかなって。すごいふわっとしていて、すごい理想なんですけど、思います。

 

すごく大事なお話だと思います。ありがとうございます。地域のなかに暮らしていると見えてこない部分もあったりするということで、最近は関係人口が注目されていますが、外部とも繋がりながら、今の村の現状をどう捉えて動いていくかというのも、すごく大事になってくるのかなと感じました。私もすごく天龍村に行きたいなって、三人のお話を聞いていて思っているので、ぜひ遊びに行かせてください。

 

免許を返納されたご高齢の方たちはどのような暮らしをされているのですか?

 

私は買い物支援でそういう方に出会うことがちょこちょこあるのですが、天龍村にはデマンドバスがあって、予約があればお迎えに行ってお店まで連れて行ってくれます。あとは福祉バスといって、診療部所とか病院に連れて行ってくれるっていうのもあります。やっぱり人口が少ない分そういうサービスは手厚いなとは思いますね。でも、95歳ぐらいで免許更新したぞって言ってるおじいちゃんもいます。

 

すごい元気ですね。これから日本は全体的に人口が減ってきて高齢化が進むので、天龍村のようなところからテクノロジーが入っていくと、モデルにもなったりするのかなと感じます。

 

自然分娩・自宅出産をされる人はいらっしゃいますか?

 

この辺で生むってなると、一時間くらい離れた飯田市に病院と助産院があります。私は自宅出産をしたくて、村まで来てくれるところを探して、一時間かけて来てもらいました。普段の検診は飯田なので、みんな一時間かけて行って診てもらってます。

私は一人目は自宅出産で、二人目は自宅出産は受けられないって言われて助産院で、三人目、四人目は自宅出産で産んだんですけど、なかなか受け入れてもらえる場所もないし、下伊那全体で産む場所の選択肢がすごく少なくて。それはこれから住む人とか若い世代にとってはすごくネックになる部分だなって思います。

 

そうなんですね。地域に根差した助産院さんがいて、そこで診てもらってという感じなんですね。これは離島の環境とも近いのかなと思いました。

 

田舎で子育てしたいのですがイメージと違ったと思うことはなんですか?

 

子育てが一番ギャップがあるかもしれない。田舎だからのびのび緑に触れて、みんな個人を尊重してみたいな勝手なイメージだったけど、そうでもないんですよね。割と都会に劣らないようにみたいな考え方も強くって。地元の人に習って苗を育てたりとか、そういう授業もあるんですけど、根本的な考え方はどっちかっていうと、あんまり突出したことはやらないかな。

小学校終わって帰ってきた時に「何時に集合ね~」って、何の集合かなと思ったら、オンライン上でのゲームの集合で、それがびっくりしました。天龍村とは思えない遊び方というか。結局は家次第ですね、家庭方針というか。

 

やっぱり人数が少ないから、どうしても宿題してない子とか、給食食べるのが遅い子がすごい目についてしまったり、そういうのはあるかもしれないですね。自分自身の子育てもそうですけど、ちょっと過保護になっちゃうところもあるかなとは思います。でも子育て自体はほんとみんなが程よく気にかけてくれて、子どもの声が聞こえるのが嬉しいって言ってくれたり、周りの人に助けられてることもたくさんあります。

 

うんうん。子育てに関しては自分も学校で仕事しているので、思うことがありすぎてすごい長く喋っちゃいそうだけど…天龍村に来たばっかりの頃は、この人数が少ない環境がすごくいいなと思っていました。運動会は村民大運動会といって、保育園からおじいちゃん、おばあちゃんまで、みんなやるんですよね。村のおじいちゃんおばあちゃんも、あれは誰々のとこのあの子だとか言いながら、みんなで応援したりして。卒業式とか入学式とかも一人ひとり6年間の思い出を喋る時間があって、それを地域のみんなで見守るみたいな。そういう雰囲気が最初はすごく新鮮だったので、いい環境だなと思っていました。自分はこういう学校を出たかったし、自分の子どもも絶対こういうところがいいなと思って。

ただ、二人が言ってるみたいに田舎と都会っていう違いは意外とないところもあって、かえって自然がない都会の方が積極的に自然を取り入れようっていう意識を持った人たちが集まりやすいから、自然の中で遊ぶとか学ぶっていうことの価値を感じている人たちは多いと思います。天龍村では周りに自然があるのが当たり前すぎて、自然の中で遊ぶことのいいところを改めて考える機会もないので、自然の中でのびのびと!と思っている人は意外と少数派かもしれないです。

ほんとに山を切り拓いたところに住んでるような場所なので、人が住んでるところと自然がゼロか百かみたいな。子どもたちだけで入って、秘密基地つくったり木登りできるほどよい里山がないので、もうディープな自然がいきなりどんみたいな感じなので、余計にそうなのかもしれないです。

 

イメージと全然違いました…。割と遊び方は都会の子と似たり寄ったりなんですね。

都会の方がむしろ自然意識が高い人がいるというのは私も感じたことがあって、以前ある農村へ行った時に村の人たちが屋外プールを掃除した洗剤をそのまま垂れ流していたりして驚いたことを思い出しました。

 

でも、やっぱり生きる力のすごい人たちが村のあちこちにいる環境っていうのは、すごい恵まれていると思うので、いかにそういうところに子どもたちを出会わせてあげるかっていうのは村の大人が村の子どもたちにしてあげられることかなと思っています。

 

うんうん、そうだね。うちの子どもたちも「たかちゃんの畑にトマト取りに行こう」って今日行ってたけど、ただ村に住んでるだけでは確かに出会えないし、協力隊だったからこそ自分たちにはそういうコネクションがあったりするよね。自分たちが教えられないことを教えてくれる先輩おじいちゃん、おばあちゃんがいて、この人だったらちょっと子どもを見てもらえるなとか。

 

そう。自分はせっかく天龍村に来たから、そういう自然環境とか色んな人と関わりながら育ってくれたらいいなって思っていて、人のつながりが多少あるので、周りのお母さんたちを誘い合って村のなかで遊ぶような企画も協力隊の先輩といっしょに時々やったりしています。村全体で子どもを育てていく環境がちょっとずつでも広まっていけばいいなって思います。

 

そうだね。過疎だから大変っていう、子どもにいい勉強させてあげられないとか、ま、それは育ってみないとわからないですけど、でも、自分たちだけじゃなくて、こういうフィールドで育てられて最高だなって思えるお母さんがもうちょっと増えたら楽しく暮らしてる人が増えるんじゃないかなって。そういうつながりがもっと広がってったらハッピーですね。

 

そうだね。自分も最初に来た時に、すごい天龍村っていろんな人がいて、いろんなことができて、こんなことをここで育った子たちは知ってるんだっていう、地元の人たちに対してすごい憧れを抱いていて。でも、住んでる人たちは、地区以外の人には出会わないし、用もないから行かないし、なんか意外に知らないんだなって、ちょっともったいないなと思ってました。

今日も山の中の集落で村の人たちと料理教室をやってて、そこ遠いから行きたくないっていう人もいるんですけど、来てみたら「いいなここ」って言ってるおばあちゃんがいたりして、やっぱり足を運んできてくれると考えも変わってくるし、まずは外からの人が感じるよりも、村の中の人たちに良さを感じてもらうことが一番大事なんだなとすごい思っています。

 

なるほど。やっぱりその辺りは地域の外から来られたみなさんだからこそ、よそ者の目線を忘れないで中の人に伝えていくっていうのも、役割としてあるんだなっていうのを感じられました。ありがとうございました。

 

ここであっという間に終わりの時間が来てしまいました…!いったん中締めをさせていただきまして、その後は残りたい人でアフタートーク。ほとんどの方が残ってくださり嬉しかったです。

 

アフタートーク

買い物弱者はほぼいない!?

明花さんの買い物支援の活動について具体的にどんなことをされているのか聞いてみました。

 

あの、基本的に全然需要はなくて、買い物弱者っていないんですよ。みんな生きてるだけあって、車に乗ってない人たちってすごいたくましくて、自給自足してたり親族が定期的に来てたりとかですね。実際みなさん病院に通ってるので、病院のついでに買い出しをしたりもしています。

なんか肩こりっていう言葉ができたから肩こりになったみたいな感じなんじゃないかなと思っていて。だから実は会話しに行ってるっていうのがメインです。

勝手に私が妄想しているのは、この先10年ぐらいでスマホですぐ頼めるような世代にたぶん変わっていくと思うので、今の70〜80代ぐらいの人までが買い物のサービスを受けられたらいいのかなとは思います。今は電話で何が欲しいの?って聞いて欲しいものを届けたり、ちょっと認知症の人とか物忘れが激しい人とかもいるので、「ここに書いておいたよ」とか、娘さんにそれを報告したりとかはありますね。それこそ私が会いたいって思って、「最近買い物どう元気してる?」っていう口実で会いに来たよみたいなこともあって、結構私は自分の仕事をほどよく自分のやりたいことにしているっていう感じですね。

 

なるほど。“買い物弱者”っていう言葉があるからそうなっちゃうというのはすごく核心をついてるなと感じました。やってるからこその視点が新鮮です。

お話を聞いてると、地域の人とのコミュニケーションの方が本当の目的で、買い物っていうのは一つの手段というか、コミュニティナース的なところもありますね。地域のつながりがあるからこそ買い物弱者はいないというのが印象的でした。

 

天龍村のどこにはまったの?

大事な質問!本編では深掘りできていなかった、、

 

村のおじいちゃんたちがあまりにも生き生きしてて、自分が思ってた年寄りの概念を覆されました。勝手なイメージで、お年寄りは守ってあげなきゃっていう存在だったのが、こっちに来た時に“花の六十五”って呼んでた世代があって、一番脂が乗ってる世代というか、知識もあって、まだ体も動けて、ここが頂点なんじゃないかなってぐらいの人たちがいて、それが自分にとってすごい刺激的でした。この人たちめっちゃすごい面白い、この人たちともっと一緒にいたいな、ここで暮らしたいなっていう風になった感じですね。

 

うんうん。会う人、会う人、インパクトがすごすぎて、同じ人間と思えないというか。それが最初来た時は衝撃的過ぎてすごい面白かった。そういう人たちの人と人とか人と自然の繋がりとか、みんなちゃん付けで呼んでる距離感とか、世代関係なく赤ちゃんからおじいちゃん、おばあちゃんまでが一同に介してわいわいしてるのがすごい楽しくて。近所のおばあちゃんとの関係は、友達のようでもあり孫のようでもあり、若いお母さんもママ友っていうよりは頼れるお姉さんみたいな感覚だったり、色んな世代の人たちといろんな繋がりがどんどんできていくのがすごい楽しくて。今も天龍村やっぱ好きだな~って思います。

 

私もほんと人に惚れたっていうのがあって。村のおじいちゃんたちが生きいき生きてて、もうなんかすごい。前はナスが好きじゃなかったんですけど、天龍に来て「ナスうまいだろ~」って言われて、すごい美味しくて、そっから食べれるようになったんですけど、そういう誰かがやってる何かを感じられる瞬間も豊かだなと思います。

あとは、一番最初に受け入れてくれた葉花ちゃんの旦那さんが何でも面白そうにすごい興味を持てるようにプレゼンしてくれて。その話にものすごく惹かれたっていうのも大きかったですね。いつでも来ていいよって言ってくれて、何回も足を運ぶきっかけをくれてるし。その時は100人を1回連れてくるより10人を10回連れてきたいって言っていて。それで10回来たいってなって、もう何もかも興味をひかれて、それが二年間続いたっていう感じです。飽きることが何もなかったです。もっと知りたい、出会いたい、そんな感じでこんな感じになっちゃいました。

 

すごい楽しそうでいいな~。自分の知らない世界とか、生きる知恵とか、そういうのを知れるってすごく楽しいし、今それを知らないとどんどん失われてしまうっていう危機感もきっとあるんだろうなっていう風にも感じました。

何かまた天龍村に関われるきっかけがあればいいなって思います。ということで、本当に今日はお子さんもいる中で夜までありがとうございました。

 

おわりに ~企画・進行してみて~

”田舎暮らし” のイメージが180度変わりました!村の子と都会の子の遊び方があまり変わらないこと、実は遊べる自然が少ないこと、村のリズムは意外と忙しいこと、買い物弱者はほとんどいないこと。


勝手なイメージで農山村の暮らしを描いていたなぁ。それに気づけただけでも本当によかったです。


それと、村の一員だからこその感覚が3人の等身大な言葉を通してピュアに伝わってきました。死が身近であること、未来への不安や希望がいりまじる感情、よそ者目線を忘れないようにしたいという気持ち、村の人の生きる力を学んで受け継いでいこうとする姿勢。

 

お三方から「地域活性化」とか「地域づくり」というワードが一度も出てこなかったのも印象的で、自分が惚れ込んだもの、大事だと感じたことを引き継いでいきたいという純粋な気持ちが地域をつないでいく底力になるのかもしれないと感じました。


Zoomの画面に時どき侵入してくるお子さんの可愛らしい姿にも癒されましたね◎天龍村の日常の様子は満月屋さんのインスタグラムからのぞくことができます↓

 
 
 
 
 
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日本の農村は本当に多様だな〜。


もっと知りたいし、失われつつある大事なもの・うもれている価値あるものを肌身で感じて伝えていきたい。


まずはご縁のあった地域から。天龍村にも行かなければ!現地でどんな景色に出会えるかとっても楽しみです!