世界と日本の風と土

世界と日本の風と土

日本とイギリスで農村計画を学ぶ女子学生のブログ。いかしいかされる生態系に編みなおしたい。

暗闇でみえたもの~ダイアログ・イン・ザ・ダーク体験記~

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ずっと気になっていた暗闇の世界へ行ってきた。


普段どれだけ視覚にたよって生きているのか

見ているはずなのに
見えているがゆえに
見ることができていないものが
たくさんあることに気づけた。

 

did.dialogue.or.jp

 

そこでは境界が見えないから、いつもの距離感が無効化される。人との距離感も、コップの水も、ゴミ箱も、私たち・・・いや、私は目で見て測っている、そして無意識に判断をしている。


暗闇のなかでは、声や音を出さないとコミュニケーションがとれない。自分の意思も、相手に対する聞いてるよっていう気持ちも、聴覚か触覚に届けないといけないんだ。


最初はとても慣れなくて、まっくらな空間もはじめましての人たちとの会話も、ちょっと怖くて緊張していた。でも、ノージー(暗闇のアテンダント、空間認知能力がハンパない)の声かけが優しくて、安心できて、だんだんと楽しめるようになった。


自分が思っていること、感じていること、周囲に伝えたいこと、全部声に出していいよって、むしろ、どんどん出した方がいい世界になることをノージーがおしえてくれたから、まるで心が丸裸になったかのように自分の内側をさらけ出すことができた。

暗闇のなかでは、周りのみんなと協力しないと動くことができない。慣れない白杖をぎこちなく振り動かして、なんとか半径1メートルを把握しようとがんばる。みんながんばってるからコツコツっとあたる。そんな時は名前を言いあってご挨拶。


未確認物体があると、
これはなんだろう?
あ!木だ!落ち葉がカサカサしてる
お!ハートの石があった!!
ボードゲームだ!裏と表がちがうね~オセロか!
わわ、ゴミ箱たおしちゃった、、(みんなで拾う)
などなど、体験を共有していく。


顔をなでる空気、鼻をとおる香り、手に触れる感触がいつもよりもとても鮮明に感じられた。


暗い世界のなかにいてもカラフルな世界が脳内に浮かんでくる。私は色のある世界を知っているから、どうしても色のついたイメージが脳内で同時再生されてしまう。そういう認知のしかたしかできないのだな。だけど、目のみえない方々はどうやってこの世界を知覚しているのだろうか。


ほんとうは、目が見えていたって、同じ世界を他者と同じように見ることはできないのかもしれない。それでも私たちは共感するし、感動を共にすることができる。私が心地よいと感じているときに、相手も心地よく感じている、シンクロしているような瞬間に出会うことがある。


イメージや幻想によって人間は簡単にだまされるけれど、本当に大事なものは目にみえないのだね。なんだかわからないけど言葉にしきれないほどに満たされたり癒されたり内から湧きあがるエネルギーを感じたりする。こうした心で感じる何かに本質的なもの、人間の根源が眠っているように思う。


ダイアログ・イン・ザ・ダークで体験した暗闇は、私の内に眠るこの何かを目覚めさせるには充分に明るかった。


ふわあああとあくびをするように、それは私の奥底にまどろんでいる。ほおっておけば、また眠りについてしまうだろう。いつもの日常にもどった今は寝ててくれて大丈夫だよ。たしかに君がそこにいることを私は知ることができたのだから。


暗闇に光がさしたとき、世界に色が戻っていくことに喜びを感じると同時に、少し寂しくも感じていた。ノージーとの距離が遠ざかっていくようにも感じたし、外の世界は、このやさしくてあたたかい世界とはちがって、もっと複雑で残酷で美しいもののように見えた。渋谷のスクランブルがそれを象徴しているかのようだった。