世界と日本の風と土

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日本とイギリスで農村計画を学ぶ女子学生のブログ。いかしいかされる生態系に編みなおしたい。

思いがけず利他な日常 ~根津シェアハウス留学記#2~

気づいたら6月になってました…!5月が濃密すぎて、やっと棚卸しです。


この1ヶ月を振り返ると
長野での田植えにはじまり
檜原村で川遊びして
根津のシェアハウスといったんお別れして実家へ戻り
スコットランド政府との共同研究を進めて
長野の高校生向けに探究のワークショップをして
鳥取と島根で地域づくりを学び
長野で田植えして
高校の探究の授業を見学して
東京に戻ってきたところ
と見せかけて今日からまた長野~(ご覧のブログは高速バス内からおおくりしております)


いやぁすごかった。この間にほんっとに色んな人生を渡り歩いて来られた魅力的な方々にたくさん出会って、たくさん語らって、たくさん五感が震えるような体験をして、人生に小さな揺らぎが起きるような時を過ごしていました。

 


まずはシェアハウス暮らしの振り返りをしていきたいと思います。
なぜシェアハウスに住むことになったのかはこちら↓

windtosoil.hatenablog.com


そうなんです。3月まで、と思って住みはじめたものの思ったより楽しくなってしまって、次の方が入る日(5/8)まで延長しました。


なんでそんなに楽しくなっちゃったのか。
暮らしを手づくりする喜びと、何が起こるかわからない・何が起こってもいい余白を楽しむような遊び心を満たしてくれる日々だったから、かな。


もちろん何もしなくたっていい。人間だもの、何もしたくない日もあります。そんな時はちゃんと放っておいてくれる。だから、何でもかんでもシェアすればいいってことでもないんですよね。その辺りの間合いがすごく居心地のよいシェアハウスでした。


「実際シェアハウスってどうなの~?」
と友人から聞かれることも多々あったのですが、シェアハウスもピンキリだし、同じ時期に住んでいる人たちの性格や生活リズムによってガラっと変わってしまう場でもあります。なので、ここに書くのはあくまでも私の体験談。シェアハウス暮らしの一例と思って見てってください。

 

 

東京キチという日常

お世話になったシェアハウスを明かすと、その名も「東京キチ」といいます。3階一戸建て5LDKの大きなお家です(なんとリビングだけで23㎡!キッチンも広々だからみんなで一緒に料理もできちゃうよ)。閑静な路地にあって、日当たり良好、朝は小鳥の鳴き声で目覚めるほど。はあ、天窓のある暮らしが恋しいな。

peraichi.com

☝キチのホームページにも書いてある通り「シェアする暮らしから世界が広がる」そんな場所です。だからキチはシェア "ハウス" という言葉では伝えきれないんだよなぁ。ハウスじゃなくて暮らしをシェアしてるという感覚が近くて、心地よさを共に育む暮らし、ライフスタイルの交わり、人生経験のお裾分け、そんな感じ?


ま、キチはキチなのです!

 

キチのゆかいな仲間たち

きっとシェアハウスで気になるのは、どんな人が住んでいるのかということだと思います。私がいたときは、オーナーのトシさん、南インド料理を極めているスパイス兄弟、ご自宅リフォーム中の3人家族、大学でアカデミックライティングを教えてるアメリカ人、ジャニーズ好きの女子高生と一緒に暮らしていました。みんな元気かな~。

 

そして、仲間は住民だけじゃないのがキチの素敵なところ。トシさんのお友だちが遊びに来て一緒にご飯を食べたり、キチを巣立った旧住民の方が顔を出してくれて近況報告で盛り上がったり、レンタルスペースを利用するゲストさんがいたり、家だけど開かれているのが特徴です(コロナが落ち着いたらAirBnBも再開予定)。こんな住まいのあり方があるのかと。まさに基地。


いろんな人が出入りするけど、不思議とプライベートが荒らされるような心配はまったくなかったですね。たぶんそれはトシさんがいつも真ん中にいるから。トシさんの友だちは良い人、おもしろい人、安心して話せる人、そう思えるんです。


とはいってもプライベートもあるので無理はしません。それぞれの生活リズムが調和したときに輪ができる。そういう偶然のなかにつながりが生まれていくような、キチに流れるゆるやかな雰囲気がすごく好きでした。

 

キチの食卓

輪が生まれるのはいつもここ。大きなダイニングテーブル。キッチンでご飯をつくっていると1人2人と集まってきて、気づいたらみんなでご飯を食べることになっちゃう愛すべき日常の展開があり、同じ釜の飯を食らいながら人生ドラマの数々が飛び交う食事の時間。こんな人生の交差点のような食卓が大好きでした。

 

やさしい食卓

ある日、研究に集中していて22時近くまで大学にいた時がありました。“うわっもう帰らないと、、”  くたびれたお疲れサラリーマンと共に電車に揺られ帰路へ。


“こんな遅くなのに意外と人いるな…” 鬱蒼とした連絡通路を黒い背広の隊列に合わせて歩いてゆく。このグレーなメトロの景観が一層気分を暗くさせるのです。座ったら寝過ごしそうなので、扉に寄りかかりながらぼーっと2駅。根津に着いた(ちなみに、駅のアナウンス聞くとわかるけど、根津は”ね”にアクセント)。


ふと、何も食べていないことに気づいて、“今日の夜ごはんどうしようかな” と考える振りをしつつ、すでに足先はコンビニへ向いていた。もはやつくる気力もない。ほんとはコンビニ飯なんて嫌だけど、さっさと寝て明日ちゃんと食べればいっかぁ。それまで頑張って自炊してきた私もついには折れて、だけどお惣菜は買うまいと最後の意地でレンチンお赤飯だけを手に、眩しすぎるコンビニを後にしたのでした。この現代人の虚しさ、わかってくれますか。


てろんてろんな体を引きずって、 やっとこさ “ただいま~” とキチに帰ると、トシさんとスパイス兄弟が “おかえり~”と迎えてくれました。おかえりって言ってもらえるだけで嬉しい。


みんなご飯が一段落した様子だったと思う。そんななかテンションめっさ低い私がレンチンをはじめたところ、“さえちゃんこれからご飯??” “そうなんです…今日はもう疲れたからつくらないでレンチンご飯と納豆にしようと思ってて…” というと、“残りものあるけど食べる?” 神でしょうか。3人が輝いて見えました(泣) “うぅ…いただいていいんですか。ほんとにありがとうございますTT” と、ぐずぐずしているうちに、食卓ができていました。

 

あのときの納豆汁、骨の髄まで沁みたなあ。ありがたい。ひとりぼっちじゃない食事の時間。心が満たされていく。残念な感じで終了していくはずだった1日が、やさしい食卓のおかげで良い1日になったのでした。

 

きっかけの食卓

トシさんにレシピ通りの味がすると喜んでもらえた親子丼

ひとりでできることなのに、ひとりじゃ続けられないことってあります。私にとってはそれが料理を楽しむことでした。


なんとなく適当につくることはできるけど、いまいち幸せになれない気分の食事しかつくれなかった私でしたが、キチに来て、めきめきと創意工夫の欲が湧き、自分でもおいしいと思えるご飯を創れるほどになりました。


何がそうさせたのかといえば、キチに根づく手づくりマインドお裾分け文化が大きかったと思います。


お裾分け、それはシェアハピ。ただ “余ったからあげる” ではなく “あげられるものを余らせておく” という心理ともいえる。


誰かに食べてもらえるかもしれないと思うと、おいしいもの創ろう♪とモチベーションがあがります。人って自分だけのためには頑張れないんですね。


我ながら子どもっぽいと思うけど、おいしいものや変わったものを創ったら、見てみてー!食べてみて!どう??ってしたくなっちゃう。


どこかへ行った時のお土産も最初は箱入りのお菓子だったのが、だんだん野菜とか素材になっていって、調理してみんなに食べてもらうところまでセットで妄想しながら買い物してました。ふとした時に他者を想えるって豊かだなぁと感じます。

 

長野でいただいたふきのとうはふき味噌に

 

山菜は天ぷらに(実家じゃ揚げ物やらないので嬉しい)

 

直売所で買ったルバーブはジャムにして手づくりスコーンと

 

だんだん調子でてきたのでイギリス生活も思い出しつつ…

イギリスの友だちにもらったクラフトジンキット! ついでにリモンチェッロも❤

 

ヨーロッパではメジャーなフムス(意外と簡単!)

 

グラタン食べたいの声におこたえして(イギリスいたときによくつくってたという話の流れから)

いろいろ試せて楽しかったな~。失敗もたくさんできて、なんだか嬉しかった。料理って人間としての創造性を引き出してくれるような気がする。

 

ともにつくる食卓

イタリア出身の二コラによる手打ちパスタの会

ひとりで食べたら10分、みんなで食べたら5時間。そんなイタリア人みたいに永遠に食べながらしゃべってる時もよくありました。食事の場って心理的安全性が高すぎるのよ。笑


しゃべろうと思ってしゃべってるわけでもなく、なんか居ちゃう。はっ気づいたらこんな時間!今日もありがとね。おやすみー。そうやっておわっていく日々が愛おしかったです。

 

中国出身あんちゃんによる餃子パーティー
中国の家庭では水餃子が一般的なんだとか(てか、包み方神業すぎん?)

 

ベトナム出身チュンさんによる生春巻きパーティー
ニョクマムは必須

 

ガレージでBBQも♪
買い出しはアメ横が最強(南三陸産岩ガキが8個で1000円だった)


一人でご飯をつくって食べるのはエサを食べてるような気分になる。心にぽかっと穴があいている。一人暮らしのメリットなんてなくない?そんな話もよくキチ民としていました。やっぱり食事は大事。みんなでつくって食べて飲んで話して片づけてっていう共に創るプロセスに幸せを感じるんだな。

 

利己と利他のはざまで

コロナ禍になってから「利他」という言葉をよく耳にするようになりました。「利他主義は合理的な利己主義だ」ってジャックアタリさんが言っていたのが懐かしい。まぁ、情けは人のためならずということですけど、東京キチで暮らしていて、またちょっと違う利己(自分のため)と利他(他者のため)の感覚を得たように感じます。


なんというか、利己と利他が溶け合ってるような。どちらかといえば、利己のなかに利他の余地あるというか。利己と利他の境界があいまいになって、自分ごとの範囲が広がっていくような感覚。


ほんとに “思いがけず利他” なんですよね(そういうタイトルの本をたまたま見つけて、まだ読んでないけど)。この感覚はうまく言語化できなくて、でも人としてすごく大事な気がする。

 

料理をつくることそのものが愛であるみたいなことを料理研究家土井善晴さんが言っていたけど、ほんとそう思う。手づくりする、シェアすることで、優しさや真心が循環していく。そういう世界にいたい。そういう場をつくっていきたい。


いつでもおいでっていえる食卓を暮らしのまん中にできる日を夢みて。
今日も健やかに生きていきます。